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サムエ宗論 サムエしゅうろん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サムエ宗論
サムエしゅうろん

チベットに仏教が本格的に導入された直後,布教の主導権をめぐり,インド仏教と中国仏教の正統性を争った一連の論議。ティソン・デツェン王はインドからシャーンタラクシタを招いてタクマルにサムエ寺を建立し,僧伽を発足させた (779) 。のち中国から 781年に2人の僧を招き,敦煌陥落の頃 (786) チベットに禅僧摩訶衍 (マハヤーナ) を呼んで布教させた。摩訶衍は無念,無想,無作意による悟得の教義を説いて 791年には皇后を出家させるまで成功した。シャーンタラクシタ亡きあとのインド仏教系の僧は禅の教義に疑義を示し,文書による論争を重ね,禁教にいたらせたが,禅の信徒の抵抗で 794年禁教が解かれた。そこで王はインドからカマラシーラを呼び,サムエのチャンチュプ院でその面前に摩訶衍を論破させ,妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り,インド仏教の正統性が認められ,主導権が確立されたと伝えられる。

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