コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

敦煌/燉煌 トンコウ

6件 の用語解説(敦煌/燉煌の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

とんこう〔トンクワウ〕【敦煌/燉煌】

中国甘粛省北西部のオアシス都市。古来から西域との交通の要衝。南東郊外に敦煌石窟がある。トゥンホワン

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

敦煌【とんこう】

中国,甘粛省北西部,党河のオアシスにある都市。別名は沙州。前2世紀,漢が西域経営のため敦煌郡を置いて以来,中国北西角の軍事・交通の要衝となる。南東の敦煌莫高窟(ばっこうくつ)には4―14世紀の壁画,彫塑などが残されている。
→関連項目スタイン橘瑞超ペリオ変文羅振玉

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル大辞泉プラスの解説

敦煌(とんこう)

1988年公開の日本映画。監督・脚本:佐藤純彌、原作:井上靖、脚本:吉田剛。出演:西田敏行佐藤浩市、中川安奈、新藤栄作、原田大二郎、三田佳子、柄本明ほか。第12回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演男優賞(西田敏行)受賞。第31回ブルーリボン賞作品賞受賞。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

とんこう【敦煌 Dūn huáng】

中国,甘粛省北西部の酒泉地区に属する市。人口12万(1994)。河西通廊あるいは河西走廊とよばれる地帯の西端に位置するオアシスの町で,シルクロードの中国側の出入口に当たる最重要の地であった。1984年になって近郊に飛行場が完成したが,それまでは鉄道が通っていないため,およそ200kmはなれた蘭新線(蘭州~ウルムチ)の柳園駅から車で行くか,幹線自動車道路の甘新公路上の安西県から分岐する安敦公路で西に120kmの行程を踏んだ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

とんこう【敦煌】

中国甘粛省北西部のオアシス都市。紀元前二世紀に漢の武帝が敦煌郡を置いてから西域交通路の基地として栄えた。約五〇〇の石窟寺院の群集する千仏洞は、石仏・壁画の仏教芸術の世界的遺跡。1900年王円籙えんろくが発見した一〇世紀以前の写本類は、1907、8年、スタイン・ペリオらによって世界に紹介された。現在、敦煌文物研究所がある。トゥンホアン。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

敦煌
とんこう / トゥンホワン

中国、甘粛(かんしゅく)省にある市。内陸アジアの乾燥地帯に属し、ゴビ(土漠)中のオアシスにある。歴史上、瓜(か)州、沙(さ)州、燉煌ともよばれた。前漢の武帝(在位前141~前87)時代に、匈奴(きょうど)に対抗し漢の軍隊が黄河の西方に進出したとき、駐屯地となり敦煌郡が設けられたのに始まる。兵士の屯田により農地が開け、漢の西域(せいいき)進出の基地となり、玉門関、陽関の両関が置かれ辺防の要衝となった。ここは中国から中央アジアを経て西方世界に達するシルク・ロードの要地で通商の拠点となり、諸族雑居しイラン系のソグド商人の集落もできた。
 西晋(せいしん)時代には、著名な将軍で能書の誉れ高い索靖(さくせい)や、敦煌菩薩(ぼさつ)とうたわれた訳経僧竺法護(じくほうご)を生み、文化水準も内地並みに高まった。戦乱の五胡(こ)十六国時代に、河西の地は相対的に安定し、前涼(ぜんりょう)、北涼、西涼など諸朝を通じ敦煌は発展期を迎え、一時西涼の国都ともなり、著名な石窟(せっくつ)寺院(千仏洞=莫高窟(ばっこうくつ))が開削され、仏教文化の中心地として栄えた。5世紀初め北魏(ほくぎ)に征服され多くの有力豪族が代都に移されるに及び、やや衰退を免れなかったが、北朝から隋(ずい)・唐にかけてシルク・ロードの要衝として東西文化の交流に一定の役割を果たした。8世紀盛唐には、13郷約6000戸、3万余の人口を擁し、莫高窟に北・南の両大仏が造顕され、絢爛(けんらん)たる浄土図などの壁画で飾られた。ところが安史の乱により唐の勢力は後退し、吐蕃(とばん)(チベット)に数十年間占領されてのち、848年土豪張議潮が吐蕃の内紛に乗じこれを追い、唐に帰順して帰義軍節度使に任ぜられた。以後、唐、五代、北宋(ほくそう)を通じおおむね中原(ちゅうげん)の正朔(せいさく)を奉じたとはいえ、通交は不安定で独立地方政権に近く、張氏、曹氏が節度使を世襲し、遼(りょう)、甘州回鶻(かいこつ)(ウイグル)、于(うてん)(ホータン)など諸族政権と複雑な関係を取り結び、東西交易仲介の利を図った。11世紀なかばにタングートの支配下に陥り、ついでモンゴル、吐魯番(トゥルファン)のウイグルの勢力下にあってのち、18世紀に至り雍正(ようせい)年間(1723~35)に清(しん)朝の管轄するところとなり、ふたたび多数の漢人が入植し、今日では13万1515(2000)の人口を有し、千仏洞で名高い観光都市となった。
 20世紀初め、石窟の一室に封蔵されていた数万点の古写本断巻、幡幢(ばんとう)などが発見されスタインやペリオによりイギリス、フランスに持ち出され、にわかに敦煌資料の貴重さが喧伝(けんでん)され、「敦煌学」とよばれる新研究領域が開かれ、文献学者や美術史家の注目の的となった。新中国は敦煌研究院(旧文物研究所)を設け石窟の修復保存と研究に努めている。[池田 温]
『榎一雄編『講座敦煌1 敦煌の自然と現状』 『講座敦煌2 敦煌の歴史』(1980・大東出版社) ▽池田温編『講座敦煌3 敦煌の社会』(1980・大東出版社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の敦煌/燉煌の言及

【浄土教美術】より

…また善導は浄土信仰の基本的教義書《観無量寿経疏》《観念法門》などを著したほか,生前に300幅もの浄土変を作ったという。しかしこれらの遺品は中原にはなく,西辺の敦煌莫高窟の壁画によってその盛況をうかがいうるにすぎない。現在同地には隋から宋にいたるおびただしい数の浄土変があり,その変遷を展望することができる。…

【浄土変相】より

…中国では唐代に盛んに造られ,善導は浄土変相を見て浄土教に帰し,のちにはみずから300余舗の浄土変相を描き,ひとにも制作をすすめたという。敦煌には浄土窟とよばれる多数の石窟があり,約230の西方浄土変をはじめ,およそ70の東方薬師変と弥勒変の壁画が残されているし,スタイン探検隊は20余の浄土変相の絵画を持ち帰った。日本でも,法隆寺金堂に描かれていた四仏浄土変をはじめ,当麻寺の《当麻曼荼羅》など多数の浄土変相が残されている。…

※「敦煌/燉煌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

敦煌/燉煌の関連キーワード甘粛省甘粛回廊西涼嘉峪関甘粛九州酒泉ハラホト甘粛地震酒泉夜光杯工場

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone