生没年不詳。8世紀末、チベットで活躍した中国の禅僧。中国での経歴は不明であるが、教禅一致の北宗禅を受け、広く法相教学にも通じていた。敦煌(とんこう)陥落(787)を期にラサに迎えられ、「無念」を柱とする簡明な実践思想を説いて爆発的な流行をみた。これを頓門(とんもん)派という。その結果、漸門(ぜんもん)派とよばれるインドの瑜伽行中観(ゆがぎょうちゅうがん)派のシャーンティラクシタによって基盤が形成されつつあったチベット仏教界に波瀾(はらん)を巻き起こすこととなり、弟子のカマラシーラと論争を繰り返し、サムエ寺の御前宗論で敗北を決定づけられた。論争の経緯を記した『頓悟(とんご)大乗正理決』や語録類が敦煌の蔵漢文献のなかに発見され、中国、インドの仏教の相違や、発展段階にあった禅宗の諸相を知るうえで好個の資料として注目を集めている。論争の余韻は9世紀にも続いたが、チベット仏教はその後破仏に向かい、再建後はインド正統主義をとったので、後期仏教ではその影響はまったく払拭(ふっしょく)されている。
[沖本克巳 2017年4月18日]
…ついで立ったティソン・デツェン王(742‐797)は761年に仏教の国教化を決意して,使を唐やネパールに送り,インドの名僧シャーンタラクシタ(寂護)を迎え,パドマサンババ(蓮華生)の協力をえて775年からサムイェー大僧院群の建立にかかり,779年にチベット人の僧に初めて説一切有部の具足戒を授けて僧伽を発足させ,その指導下で梵語仏典を主とする訳経事業が始められた。786年敦煌が陥落すると,その地から招かれた漢人僧摩訶衍(まかえん)が利他行を重視した不思不観の禅の教えを流行させたので,インド系仏教徒との間で宗論が起った。王はインドから寂護の弟子の巨匠カマラシーラ(蓮華戒)を招いて摩訶衍を論破させ,インド仏教を正統とした。…
※「摩訶衍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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