シュワーベン詩派(読み)しゅわーべんしは(英語表記)Schwäbische Dichterkreis

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュワーベン詩派」の意味・わかりやすい解説

シュワーベン詩派
しゅわーべんしは
Schwäbische Dichterkreis

ドイツ後期ロマン派の一詩派。狭義にはウーラント、J・A・ケルナー、シュワープほか、ウュルテンベルク出身のロマン派詩人仲間をさし、広くはメーリケハウフなども加える。しかしこの名称は、これらの詩人の仕事すべてを包括するには十分ではなく、今日、但し書なしに使用されることはまずない。1803年、ウーラントを中心にチュービンゲン大学に形成された学生文学グループが起点となっている。このグループの解消後もウーラント、ケルナーの両者はシュワーベン・ロマン派の旗印のもとに同調者を集めた。彼らは、家郷の風土、詩的伝統を愛し、民謡調のバラード、物語詩などを表現形式として好んだ。アンチ・ロマンの「青年ドイツ派」とは反目しあい、別格扱いのウーラント以外は、ハイネなどの批判を浴びたが、彼らの運動の後代への影響は小さくない。

[内藤道雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のシュワーベン詩派の言及

【ウーラント】より

…チュービンゲンに生まれ,法律と文学を学び,弁護士になる一方,独仏の古い民謡・民話の研究にも取り組み,古謡の収集に業績をあげ,大学で文学の講義も担当した。早くからシュワープGustav Schwab(1792‐1850)らと親交を結び,民謡的な詩や《盲いた王》《詩人の呪い》などバラードの名作を書いて,後期ロマン派のシュワーベン詩派を代表する詩人となった。シューベルトやシューマンの作曲によって親しまれている詩も多い。…

【ケルナー】より

…ドイツの詩人。ルートウィヒスブルクに生まれ,後期ロマン派のシュワーベン詩派の一人で,民謡風の洒脱な詩を書き,《旅の影絵》(1811)など散文集を遺す。医学を学び,ヘルダーリンを診察したこともある。…

※「シュワーベン詩派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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