ドイツの詩人。ルートウィヒスブルク生まれ。ウーラッハ僧院学校を経て1822~26年チュービンゲン大学神学寮で学んだ。バイプリンガー(ヴァイプリンガー)との友情、神秘的な放浪女マリア・マイアーとの「ペレグリーナ」体験(チュービンゲン大学時代、彼女との恋愛は『ペレグリーナ詩編』に苦い経験として歌われている)、神学者D・F・シュトラウスや美学者F・T・フィッシャーとの友情を得、数年間代牧師で諸村を遍歴、34年クレーフェルズルツバハ村の牧師となった。43年恩給付き退職をするまでに、『詩集』(1838)を刊行し、すでに青春の総決算である小説『画家ノルテン』(1832)で文名を得ていた。44年メルゲントハイムでマルガレーテ・フォン・シュペートと結婚し二女を得たが、73年別居した。66年からシュトゥットガルトを離れ田舎(いなか)に住んだ。民謡調の素朴で高雅な、ユーモアのある叙情詩は近代詩の清冽(せいれつ)な泉となり、節度と形式感覚を尊ぶ古典的詩形によって新古典主義的調和をみせている。『ボーデン湖畔の牧歌』(1846)、童話『シュトゥットガルトの侏儒(こびと)』(1853)のほか、ドイツ芸術家小説の珠玉の作品『旅の日のモーツァルト』(1856)で広く親しまれており、国際的な評価も高い。
[宮下健三]
『『世界文学大系79 メーリケ・ケラー篇』(1964・筑摩書房)』▽『宮下健三訳『旅の日のモーツァルト』(岩波文庫)』▽『宮下健三著『メーリケ研究』(1981・南江堂)』
ドイツの詩人。シュワーベンに生まれ,プロテスタントの牧師,後には女学校の教師を務め,一応さしたる風波も立たない平凡な一生を過ごし,一部からは片隅につつましく生きる牧歌詩人のように見られもした。たしかに故郷の南ドイツの地方色に濃く染められた,一見していかにものどかな感じの物語詩《ボーデン湖の牧歌》(1846),童話《シュトゥットガルトの皺くちゃ爺》(1853)などの作からは,そう見られてしかるべき特性がうかがわれる。また最もよく知られた小説《プラハへの旅路のモーツァルト》(1856)にしても,典雅だがいささか退屈なロココ風絵巻以上のものは見いだしにくいかもしれない。しかし表面ののどかさの下には,底知れぬ内部の深淵に似た世界が隠れていて,それが表現に一種の不透明な重層性を帯びさせている。唯一の長編小説《画家ノルテン》(1832)では,若書きということもあって,表面と深層がしばしば均衡を失して分裂した,まとまりの悪い印象を与えるが,重層性が最もみごとな表現を達成しているのは抒情詩の領域で,そこでは古典詩に学んだ高い格調と,魂の奥から湧き上がる夢とが一つに溶け合い,たぐいまれな詩的ビジョンを生じさせている。その点でゲーテ,ヘルダーリンを継承して19世紀ドイツ詩の最高の水準を示していると同時に,夢の造形を志向する近代象徴詩の先駆者となっているともいえる。H.ウォルフの作曲した〈メーリケ歌曲集〉は,この詩の特性をとらえて余すところがない。
執筆者:川村 二郎
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