ジョーホイ(兆恵)(読み)ジョーホイ(英語表記)Joo hūi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョーホイ(兆恵)」の意味・わかりやすい解説

ジョーホイ(兆恵)
ジョーホイ
Joo hūi

[生]康煕47(1708)
[没]乾隆29(1764)
中国,清朝中期の武将。字は和甫。諡は文襄。呉雅氏出身の正黄旗満州旗人。父は都統であった仏標。筆帖式から刑部侍郎,正黄旗満州副都統,鑲紅旗護軍統領を歴任,乾隆 18 (1753) 年にチベットにおもむき,ジュンガル部の防衛にあたり,翌年からのジュンガル平定戦争に定辺右副将軍に任じられた。次いでアムルサナー (阿睦爾撒納)を征討して大功を立て,同 22年に一等武毅伯に封じられ,戸部尚書,鑲白旗漢軍都統,領侍衛内大臣に任じられた。次いでいわゆる大小ホージャをバダフシャンで殺して回部の平定を行い,武毅謀勇一等侯に進み,同 25年に北京に帰還,翌年に協弁大学士,次いで尹継善とともに江南地方の水利事業を監督した。没後に太保を贈られた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android