精選版 日本国語大辞典 「バッハ」の意味・読み・例文・類語
バッハ
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1685~1750
ドイツの音楽家。オルガンの作曲,演奏家として知られ,長くライプツィヒのトーマス教会合唱指揮者を務め,教会音楽,器楽に膨大な作品を残した。作品には多音音楽と和声音楽が巧みに摂取されており,近代音楽の創始者と呼ばれるにふさわしい。
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… 1750年のバッハの死以後今日に至るドイツ音楽の目ざましい発展については,よく知られているので,ここではその大筋を追うにとどめたい。18世紀中葉の新興市民階級の登場とともに,ドイツ音楽もバロックの貴族的・宮廷的・宗教的壮麗と威厳を捨て,簡単な和声伴奏の上に親しみやすい旋律を歌わせるホモフォニーによって,テレマンのロココ音楽,マンハイム楽派の多感様式,あるいはエマヌエル・バッハCarl Philipp Emanuel Bach(1714‐88)のシュトゥルム・ウント・ドラング的音楽を生み出した。この方向はやがてハイドン,モーツァルト,ベートーベンらのウィーン古典派の交響曲や室内楽に結集され,ドイツ的なものを中心にイタリアや東欧の要素を内に含んで,全ヨーロッパに通用するドイツ音楽の頂点を形成した。…
…タッチに敏感で繊細な美しい音色をもつので,感情の自然な表出を目指した感情過多様式empfindsamer stilにとって最適の楽器であった。18世紀後半のドイツで大変好まれ,なかでもC.P.E.バッハは,《わがジルバーマン・クラビーアへの別れ》(Wq.66,1781)ほか多数のクラビコードのための作品を残すとともに著書《クラビーア演奏の正しい技法についての試論》(第1部1753,第2部1762)のなかでクラビコードの特質や奏法について詳しく述べている。19世紀にいったん廃れたが20世紀に入ると古楽復興のブームに乗って復活し,少数ながら新しい作品も書かれている。…
…バッハ,モーツァルト,ベートーベン,ブラームス,ワーグナーらに代表されるドイツ音楽の偉大さがしばしば語られる。しかし,ドイツ音楽を簡単に定義することはできない。…
…とくに16,17世紀に器楽曲が隆盛になるにつれて,作曲されるようになり,J.ダウランドの息子ロバートRobert Dowland(1591ころ‐1641)のリュート教則本《リュート・レッスンのさまざま》(1610)や,J.プレーフォードの出版したビオル教則本は初期の最も重要な練習曲に数えられる。18世紀に入るととくに鍵盤楽器を中心に多くの練習曲および教則本がつくられるが,なかでもF.クープランの《クラブサン奏法》(1716),エマヌエル・バッハの《正しいクラビーア奏法の試論》2部(1753,62)は,運指法や装飾法の手引きとしてだけではなく,作曲家の個人様式や特定の時代様式に即した練習の手引きとしても意味をもつ。また,J.S.バッハの《インベンション》は息子や弟子の教育目的に作曲された練習曲であり,彼の《イタリア協奏曲》や《ゴルトベルク変奏曲》などは《クラビーア練習曲集》として出版された。…
…しかもこの300年期の中間には,およそ150年の間隔でさらに時代を画する現象を指摘することができる。少なくとも記録のある限り850年ごろといえるポリフォニーの始まり,初期ポリフォニーの最初の成果を示す1150年ごろの聖マルシアル楽派,1450年ごろに起こりルネサンス時代の開始を告げるフランドル楽派,J.S.バッハが没しバロック時代の終りを記す1750年。美術史から借用され音楽史でも一般化している様式概念を以上の時代区分に当てはめるならば,西洋音楽の歴史は,《ハーバード音楽辞典Harvard Dictionary of Music》(1944)にならって,およそ次のように図式化できよう。…
…J.S.バッハの作品(BWV1079)。3声と6声のリチェルカーレ各1曲,フルート,バイオリン,通奏低音のためのトリオ・ソナタ1曲,2~4声の種々のカノン10曲から成り,《フーガの技法》(1745ころ‐50。…
…バロック時代の声楽形式で,一つの物語を構成する歌詞がアリア,レチタティーボ,重唱,合唱などからなる多楽章形式に作曲されている点から,小型のオペラまたはオラトリオともいえる。J.S.バッハによって,今日では教会礼拝用音楽としての教会カンタータが有名であるが,バロック時代を通じての標準的で一般的なカンタータは世俗カンタータであった。バッハの教会カンタータは教会曲Kirchenstückともよばれた。…
…ただし,他の宗教にも数多くの宗派宗旨があるように,キリスト教にも,カトリックとプロテスタントの二大教会の別があり,それぞれの内部に数多くの教派があって,音楽的伝統も一様ではない。芸術的に見た場合,それらの中でとくに重要なのは,パレストリーナやベートーベンのミサ曲によって代表されるローマ・カトリック教会,バッハのカンタータや受難曲によって代表されるルター派のドイツ福音主義教会,パーセルのアンセムやヘンデルのオラトリオによって代表される英国国教会,ボルトニャンスキーの教会コンチェルトによって代表されるロシア正教会などである。 イエス・キリストの生涯を書き記した新約聖書の福音書には,ただ1ヵ所だけ音楽に言及した個所がある。…
…ルターの作をはじめとする16世紀のコラールは,信徒の共同体意識を強調したものが多く,ニコライPhilipp Nicolai(1556‐1608)作曲の《目覚めよと呼ぶ声聞こゆ》《たえにうるわし暁の星》で,一つの頂点をきわめる。17世紀に入るとしだいに個人的な心情を歌った作風が支配的となるが,J.リスト作詞,ショップJohann Schop(1590ころ‐1667)作曲の《奮い立てわが心》(バッハの《主よ,人の望みの喜びよ》の原曲)のような佳曲も見られる。18世紀は全般的に見て衰退期である。…
…これらのテキストでは聖書の言葉はほとんど完全に排除されているが,前者はヘンデル,テレマン,R.カイザー,マッテゾンらによって,後者はカルダーラ,N.ヨンメリ,パイジェロらによって作曲された。他方,J.S.バッハの《ヨハネ受難曲》(1724)は,部分的にブロッケスの詩をとり入れてはいるが,福音史家の記述を中心として受難曲本来の叙事詩的な性格を回復した名作であり,彼の《マタイ受難曲》(1729)は,ピカンダーPicander(本名Christian Friedrich Henrici,1700‐64)の宗教詩をとり入れながらもさらに聖書的な性格が強く,叙事的・抒情的・劇的な要素を壮大な規模で有機的に統合した記念碑的な作品である。
[受難オラトリオ]
バッハの没後は,宗教的な劇音楽の演奏の場所がしだいに教会から演奏会場へ移るのに伴って,本来の意味での受難曲は衰微し,代わってイエスの受難を題材としたオラトリオが主流を占めるようになった。…
…しかしその一方,従来は許されなかったような旋律進行が和音によって正当化され,各声部の動きが多様化したことも事実である。このような調的対位法は18世紀前半のJ.S.バッハによって集大成され,フーガを中心とする彼の対位法的楽曲においては,各声部のきわめて自立的かつ性格的な旋律進行と,豊かで多様な和音を伴う和声進行の相互作用が独特な緊張感を生み,対位法と和声法の比類ない総合が達成された。 古典派の時代に入ると,たいていは最上声に置かれる主要旋律と,それを伴奏する副次声部や和音というホモフォニーの書法が主流を占め,諸声部の均質性という16世紀以来の対位法の理想は解体する。…
…バッハ,モーツァルト,ベートーベン,ブラームス,ワーグナーらに代表されるドイツ音楽の偉大さがしばしば語られる。しかし,ドイツ音楽を簡単に定義することはできない。…
…そうしたトッカータを高度に発展させたのが北ドイツ・オルガン楽派の雄ブクステフーデである。オルガンの名手として名高かったJ.S.バッハは若い頃しかこの種のトッカータを作曲しなかったが,彼の有名なニ短調の《トッカータとフーガ》(BWV565)は,1705年にリューベックのブクステフーデを訪れたときの感動をそのままに伝えている。クラビーアのための有名な《半音階的幻想曲とフーガ》(BWV903)にもトッカータ精神がみなぎっている。…
…しかし,その後のバロックの独奏協奏曲の規範となったトゥッティtutti(総奏部)とソロsolo(独奏部)の鋭い対照,急・緩・急の3楽章形式という特徴を確立したのは,《調和の幻想》(1712)をはじめとするビバルディの多数の協奏曲作品である。その後の世代にビバルディの様式は協奏曲の典型と見なされ,J.S.バッハ,ヘンデル,テレマンはその影響のもとに多数の協奏曲を書いている。他方,高度の技巧の追求も行われ,バイオリンの多声的な可能性の極限を示したJ.S.バッハの《無伴奏ソナタとパルティータ》(1720)や,《24のカプリッチョ》を含むロカテリの《バイオリンの技法》(作品3。…
…およそ16世紀末から18世紀前半にかけての音楽をいう。この時代に活躍した音楽家の中では,J.S.バッハ,ヘンデル,ビバルディらの名が広く知られているが,彼らは後期バロックの巨匠であり,初期を代表するモンテベルディやフレスコバルディ,中期のリュリやコレリらも見落とすことができない。同時代の美術の場合と同じく,バロック音楽を社会的に支えたのは,ベルサイユの宮廷に典型を見る絶対主義の王制と,しだいに興隆する都市の市民層であった。…
…しかし彼の発明はイタリアでは注目されず,むしろドイツとイギリスで発展した。ドイツではG.ジルバーマン(ジルバーマン)がクリストフォリの考案を採用して何台かを試作し,1740年代にはフリードリヒ大王のポツダム宮殿にも採用されて,晩年のJ.S.バッハがそれを試奏した。クリストフォリやG.ジルバーマンの打弦機構はいわゆる〈突き上げ方式Stossmechanik〉で,ハンマーは鍵と独立して別の固定的な支点をもち,ハンマーの付け根をレバーが突き上げて打弦する。…
…また,リチュルカーレにおける動きの少ないゆったりとした主題に代わり,運動性や多様性に富んだフーガ独自の主題が求められ,主題の入りを明確にするために,しばしば跳躍音程を取り入れるくふうも行われるようになった。 フーガの技法の最も高い芸術性はJ.S.バッハにみることができる。彼はフーガの主題を,より個性的なものにするとともに,楽曲全体に調的対立に基づく形式性を与えた。…
…日本では復顔法を行った例はあまり多くない。欧州ではかつて,地下室墓地の多数の骨の中に入りまじっていた音楽家バッハの頭蓋骨を判別するために復顔法を行ったところ,肖像画に一致した例が知られている。復顔像作製の材質は,はじめよく湿した粘土を用いて頭蓋骨に形体をつくりあげ,つぎに,これにセッコウあるいはセレシン系物質の混合物を使用することが多い。…
…J.S.バッハの6曲から成る協奏曲集(BWV1046~1051)。ケーテンの宮廷楽長時代のバッハが,1721年3月,この6曲をブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートウィヒChristian Ludwig(1677‐1734)に献呈したところからこの呼名が生まれた。…
…J.S.バッハの2巻から成る曲集で(第1巻BWV846~869,第2巻BWV870~893),各巻とも24の前奏曲とフーガを含む。当時まだ新しかった平均律(ただし現在のような12等分平均律ではない)の可能性に挑戦し,すべての長調と短調を用いた画期的な曲集で,各巻ともハ長調から始まってハ短調,嬰ハ長調,嬰ハ短調……というように,長調と短調を交互に置いて最後のロ短調まで半音階的に順次上行する配列がとられている。…
…《マタイによる福音書》によるキリスト受難の物語を題材とする音楽。とくにJ.S.バッハの作品(BWV244)が有名で,プロテスタント教会音楽の最高峰に数えられる。《マタイによる福音書》26~27章を中心にして,ルター派の賛美歌(コラール)と抒情的な宗教詩を配したピカンダーPicander(本名Christian Friedrich Henrici,1700‐64)の台本によって作曲され,1729年4月15日(一説では1727年4月11日)の聖金曜日にライプチヒのトーマス教会で初演された。…
※「バッハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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