ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダオメー王国」の意味・わかりやすい解説
ダオメー王国
ダオメーおうこく
Dahomey
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17世紀から19世紀にかけて、西アフリカの現在のベナン南部に栄えた王国。この地方は16世紀ころにはアジャ人のアラーダ王国の支配下にあったが、17世紀初頭同王国の王位争いに敗れた王子が、現在のアボメーにアボメー王国を建設し、これがダオメー王国の前身となった。ウェグバジャ王(在位1650~85)の時代にダオメー王国と改称し、アカバ王(在位1685~1708)、アガジャ王(在位1708~40)の時代に強大化し、1725年にアラーダを、28年にウィダーを攻略し、ギニア湾沿岸地帯を征服した。18世紀初頭のウィダーは「ギニア湾沿岸地帯の最大の貿易港であり、その他のすべての地域で取引されるのと同様の奴隷が売買され、毎年40ないし50隻の船舶が積み荷を下ろしていると思う」とイギリス人のジョン・アトキンスは報告している。
19世紀のダオメー王国は西アフリカ最大の2万人の常備軍をもち、ヨーロッパ人との取引のために奴隷を調達し、アシャンティ方面にも領域を拡大し、ギニア湾沿岸地帯を確保した。19世紀末、ゲレレ王はすでにフランスの保護下に入っていたポルト・ノボを再奪回しようとし、またコトヌーのフランスへの割譲に反対したため、1890~94年にフランスとの間で戦争となった。ダオメー王国はフランスに敗れ、ゲレレ王を継いだベハンガン王はマルティニーク島に追放され、その弟のアゴリ・アクボが即位したが、1900年に廃位されガボンに亡命し、ダオメー王国は滅亡した。
[中村弘光]
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