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ストラレンベルグ Stralenberg, Filipp Ijhan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ストラレンベルグ
Stralenberg, Filipp Ijhan

[生]1676
[没]1746
スウェーデンのシベリア研究家,東洋学者。 Tabbertともいう。士官として北方戦争に従軍したが,ポルタバの戦いピョートル1世 (大帝) 指揮下のロシア軍に破れ,捕虜としてシベリアに送られた。ここで 13年間生活し,比較的自由な環境を利用してシベリア各地を調査し,1722年帰国。のち『ヨーロッパとアジアの北東部』 Das Nord-und Ostliche Theil von Europa und Asia (1730) を著わし,地図を付して出版した。これはシベリアの歴史,地理,民族研究の画期的な著作となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ストラレンベルグ【Philipp Johan von Strahlenberg】

1676‐1747
スウェーデンの軍人。正しくはストラーレンベリ。1709年ポルタワの戦でロシア軍の捕虜となり,のち長くシベリアに居住した。帰国後の1730年,スウェーデンで《ヨーロッパおよびアジアの北部と東部Das nord‐ und östliche Theil von Europa und Asien》とシベリア地図(1699‐1701年のレーメゾフの《シベリア地図》を基本にしたもの)を刊行。シベリア研究の初期文献として重要視されている。

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世界大百科事典内のストラレンベルグの言及

【シベリア探検】より

…最初の学術的シベリア探検は,ロシア皇帝ピョートル1世の命により,主として薬草と鉱物の調査のためにシベリアに派遣されたドイツ人学者メッサーシュミットDaniel Gottlieb Messerschmidt(1685‐1735)によって行われた。彼は1719‐27年,レナ川までの各地を旅行し,動植物や鉱物の標本のほか20の言語資料を集め,くわしい調査日記を残した。1721‐22年,シベリアで捕虜になっていたスウェーデン人将校ストラーレンベルグが彼に同行し,後に《アジアとヨーロッパの北東部》(1730)を著した。…

※「ストラレンベルグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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