セティ(1世)(読み)せてぃ(英語表記)Seti Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セティ(1世)」の意味・わかりやすい解説

セティ(1世)
せてぃ
Seti Ⅰ

生没年不詳。古代エジプト第19王朝の2代目の王(在位前1308ころ~前1294ころ)。セトスSethosと表記されることもある。第18王朝の最後の王ホルエンヘブの治世に、セト神に奉仕する祭司として枢要な役割をもっていた彼は、父のラムセス1世が第19王朝を開くとともに共治の王子として指名された。1年半の短い治世でラムセス1世が死去したので即位し、セティ1世となった。この王名は「セト神の従者」を意味する。もともとセト神には善なるオシリス神を滅ぼしたものという神話があり、その結果、砂漠(不毛)の神とみなされていたが、第19王朝ではこの神は新たな性格をもち、オアシス(生産)の神となった。セティ1世はパレスチナにエジプトの威信を確立し、北方ヒッタイトと平和条約を結んだ。テーベの彼の墓は、岩盤の中に100メートル以上の長さにわたって掘られたもので、多くの通廊と室、その壁面と天井を飾る信仰と天文の絵は、建築と絵画の豪華さをいまもとどめている。

[酒井傳六]


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