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テーベ Thebae; Thēbai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テーベ
Thebae; Thēbai

アテネの東北方,ボイオチア東部にあった古代ギリシアの重要都市。ギリシア名テバイ。現シベ。テーベ伝説上のオイディプス王の首都で,古代ギリシア悲劇の舞台として知られる。伝説によれば古代の都城カドメイアはフェニキア人によって建てられたとされるが,すでに初期青銅器時代には住民のいたことが知られ,ミケーネ時代には王宮が存在していた。トロイ戦争 (前 1200頃) 直前までアルゴリスと覇を競ったが,その後は不明で,この間に民族移動があり,ドーリス人系のアイゲイデス族を含む混血のボイオチア人が成立。前6世紀にボイオチア同盟が形成され,前5世紀以来テーベはその盟主となった。アテネへの敵対からアケメネス朝ペルシアと,そしてのちにはスパルタと協力。ペロポネソス戦争でアテネを破り (前 404) ,その全滅を望んだが果たさず,転じてスパルタと争うにいたった。前 386年スパルタはボイオチア同盟を解散,前 382年カドメイアを占領した。しかしテーベはスパルタと戦って大勝し,同盟も再建され,ギリシア第1の勢力となった。テーベの勇将エパメイノンダスの戦死後テーベは急速に衰え,前 346年マケドニアフィリッポス2世との同盟を受容した。その後まもなく同盟を破棄し,アテネとともにフィリッポスと戦ったが,前 338年のカイロネイアの戦いで完敗,ボイオチア同盟は解体され,テーベはマケドニア軍の占領下に置かれた。前 336年アレクサンドロス3世 (大王) に対する反乱失敗後,町は壊滅したが,前 316年大王のディアドコイ (後継者) の一人マケドニア王カサンドロスによって再建された。前 197年ローマの支配下に置かれ,前 86年将軍 L.スラによって分割された。2世紀の歴史家は,カドメイアに住民のいたことを報じるが,町は中世を通じて征服者や冒険家に次々と蹂躪され,1435~1829年に及ぶトルコの支配下では一寒村となり果てた。ギリシア領となってから,周辺の豊かな農業地帯の中心地として発展し始め,現在,小麦,オリーブ油,ワイン,タバコ,綿花などの集散地。南東約 50kmのアテネと鉄道で連絡。人口1万 8191 (1991推計) 。

テーベ
Thebae; Thēbai; Thebes

古代エジプトの都市。ギリシア名テバイ。カイロの南方約 674km,ナイル川中流の両岸にまたがり,現在のルクソールにあたる。テーベは古王国時代まではあまり目立たない農村であったが,その末期から勢力をもちはじめ,第 11王朝 (前 2133頃~1991) にテーベ侯メントゥホテプ2世がエジプトを再統一してからにわかに注目された。アジアから侵入したヒクソスをテーベ出身の第 17王朝が追放したため,第 18王朝には首都となった。以後第 19,第 20王朝と新王国時代 (前 1567~1320) の首都として繁栄。この時代の遺構としてナイル東岸では,北のカルナックアモン大神殿 (→カルナック神殿 ) ,モントゥ,コンスムトの諸神殿が,南のルクソールにはアモンをまつったルクソール神殿がある。またナイル西岸には,デル・エル・バハリ神殿ハトシェプスト女王葬祭殿をはじめ,セティ1世,ラムセス2世,ラムセス3世らの王たちの葬祭殿があり,さらに墓地としては「王陵の谷」「王妃の谷」「貴族の墓」がある。 1979年世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉の解説

テーベ(Thēbai)

古代ギリシャ、ボイオティア地方の都市。前371年スパルタが衰退したのち、全ギリシャの覇権を握ったが、前335年、アレクサンドロス大王に滅ぼされた。テーバイ

テーベ(Thebe)

木星の第14衛星で、すべての衛星のうち4番目に木星に近い軌道を回る。1979年に発見。名の由来はギリシャ神話ニンフ。非球形で平均直径は約100キロ。

テーベ(Thebes)

エジプト南東部の古代都市。ナイル川中流、現在のルクソール付近にあたり、たびたび首都となった。西岸に王家の谷セティ1世葬祭殿ラメセウムラムセス3世葬祭殿ハトシェプスト女王葬祭殿、東岸にカルナックルクソール神殿などが残る。1979年、「古代都市テーベとその墓地遺跡」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。エジプト名、ワセト

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百科事典マイペディアの解説

テーベ

ギリシア,ボイオティア地方南東部の都市。古代名テーバイ。伝説ではカドモスデルフォイの神託により建設。テーバイはミュケナイ文明においても重要な位置を占めたが,前6世紀ころからボイオティア同盟の中心で,エパメイノンダスの指導下に前371年レウクトラの戦でスパルタ軍を撃破,以後9年間ギリシア世界の覇権を握った。
→関連項目ギリシア(古代)テーベ伝説ペロピダスボイオティア

テーベ

エジプト,カイロの南方約675km,ナイル川中流,現在のルクソルを中心に川の両岸に広がる。古代エジプトの都市。中・新王国時代に首都として栄え,その後もアメン信仰の宗教都市としてにぎわった。
→関連項目エジプト(地域)

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世界大百科事典 第2版の解説

テーベ【Thebes】

上エジプトにある古代エジプト王朝時代を代表する都市。現在のルクソルの町を中心にナイル両岸にひろがる。古代エジプト名はウアセトWaset,旧約聖書ではノ・アモンNo Amon(〈アメン神の市〉の意)と記されたが,ギリシア人がボイオティアの同名の都市にちなんでテーベ(テーバイ)と呼んだ理由は不明である。都市としての発達は比較的遅く,古王国時代末期に始まり,ここを拠点とする第11王朝の成立とメンチュヘテプ2世(在位,前2061ころ‐前2010ころ)の王国再統一により,政治および宗教(アメン信仰)の中心地としての地位を確立した。

テーベ【Thebes】

ギリシアのボイオティア地方南東部の都市。古代名テーバイThēbai,現代ギリシア語ではティーベThívai。伝説によれば,フェニキア王の子でギリシアに文字をもたらしたと伝えられているカドモスが,ゼウスに誘拐された姉妹エウロペを探し求めてギリシアにやって来て,デルフォイの神託に従って建設したという。これによりテーベのアクロポリスはカドメイアKadmeiaと呼ばれた。ミュケナイ時代にこのカドメイアには大宮殿があり,発掘の結果,これは前14世紀に火災で崩壊し,まもなくより小規模の新宮殿が再建されたが,これも100年足らずで破壊されたことが知られている。

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大辞林 第三版の解説

テーベ【Thebai】

ギリシャ、ボエオチア地方にあった古代の都市国家。紀元前371年スパルタを破って一時ギリシャの覇権を握ったが、前335年にマケドニアにより破壊された。テバイ。テーバイ。

テーベ【Thebes】

エジプト、ナイル川中流の両岸にまたがる古代都市。エジプト中王国・新王国の首都で、東岸(現、ルクソル市)にカルナック神殿・ルクソル神殿があり、西岸に王家の谷などの遺跡がある。

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