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ヒッタイト ヒッタイト Hittites

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒッタイト
ヒッタイト
Hittites

前 1800~前 1200年頃に小アジアに王国を築いたインドヨーロッパ語系民族。 (→インド=ヨーロッパ語族 ) 1887年に発見されたアマルナ文書の中のアルザク書簡,1906年以来ボガズキョイで発掘された多数の粘土板文書によって後期青銅器時代 (前2千年紀) に小アジア一帯にかけて一大勢力を有していたことが明らかになった。

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デジタル大辞泉の解説

ヒッタイト(Hittite)

前2000年ごろから小アジアで活躍した、インド‐ヨーロッパ語を用いた民族。また、その国。前18世紀に小アジアに王国を建国。馬と鉄器を使用し、前14世紀にはエジプトアッシリア間に大帝国を建設したが、前12世紀に入って急速に衰退。その楔形(くさびがた)文字はすでに解読され、象形文字も残存する。ハッティ

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百科事典マイペディアの解説

ヒッタイト

前2千年紀,アナトリアを中心に勢力をもったオリエントの強国の一つ,また民族の称。ヘテ,ケタ,ハッティとも。その言語(ヒッタイト語)は印欧語族の一つ。前1800年ころから小アジアに進出して勢力を張り,馬・戦車・鉄製武器の使用により,ボアズキョイを首都にオリエント最強の国家を建てた。
→関連項目アナトリアカッパドキアカルケミシュヒッタイト語ミタンニ王国ラメセス[2世]

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世界大百科事典 第2版の解説

ヒッタイト【Hittite】

エジプト,バビロニアミタンニと並ぶ,前2千年紀におけるオリエントの強国の一つ,またそれを築いた民族の称。,鉄と軽戦車を駆使しながらその版図を拡大していったといわれ,前1750年ころから前1190年ころまで,アナトリアを中心に勢力を振るった。現在のヒッタイトという名称は,旧約聖書の記述ヘテḤittîに基づくものである。ボアズキョイ出土の粘土板文書,バビロニア,アッシリアの史料では,ハッティḪatti,エジプトの史料ではケタḪ‐t’と記されている。

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大辞林 第三版の解説

ヒッタイト【Hittite】

紀元前2000年頃以後小アジア一帯で活躍した、ヒッタイト語を用いた民族の一派の称。また、それが築いた国家。鉄製武器や戦車の使用により強大な王国を建設したが、前一二世紀頃海上から異民族の侵入をうけて急速に衰退。楔くさび形文字と象形文字による記録が残る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒッタイト
ひったいと
Hittites

小アジアを中心として、紀元前1750年ごろから前1190年ごろに活躍したインド・ヨーロッパ語族の民族、言語、国家の名称。ボアズキョイ(ボガズキョイ)出土の粘土板文書ではハッティ、『旧約聖書』ではヘテびと。英語のヒッタイトが一般化している。[大村幸弘]

ヒッタイト学の成立

1906~07年、11~12年、ドイツのアッシリア学者H・ウィンクラーHugo Winkler(1863―1913)は、小アジア中央部のボアズキョイの発掘調査で1万枚を超すボアズキョイ文書とよばれる粘土板を発見した。その一部を現場で解読することにより、ボアズキョイがヒッタイト帝国の都、ハットゥシャであることを確認した。31年から、ドイツの考古学者K・ビッテルにより発掘調査は再開され、現在に至っている。ヒッタイト語の解読はチェコスロバキアのフロズニーBedich Hrozn(1879―1952)によって行われた。彼は1916~17年「ヒッタイト人の言語、その構造と印欧語族への帰属」を発表、ヒッタイト語がインド・ヨーロッパ語族の一つであることを明らかにし、ヒッタイト学の基礎は確立された。[大村幸弘]

歴史

ボアズキョイ文書には、ヒッタイト語のほか、アッカド語、シュメール語、ハッティ語、フルリ語、パラ語、ルウィ語が認められ、ヒッタイト帝国は数民族から構成された複合民族国家であった裏づけとなっている。これらの言語のなかで、ルウィ語、ヒッタイト語、パラ語は、前2000年ごろを境として、ルウィ人、ヒッタイト人、パラ人がコーカサスの西側、黒海沿岸を通過、小アジアへ民族移動した際に持ち込んだ言語である。通説では、ルウィ人が先に小アジアへ入り、その後ヒッタイト人が移動したといわれる。ヒッタイト人が統一国家を建てる前、小アジアの山中の銅を求めてアッシュールからきたアッシリア商人が、キュルテペ(古代名カネシュ)の城外に居留地を置き、カールムという彼ら独自の組織をもち、先住民と交易を行っている。このカールムからはカッパドキア文書とよばれる粘土板文書が大量に出土した。それによると、フルリ、ヒッタイト、ルウィ語人名が含まれており、すでにインド・ヨーロッパ語族が定住化していたことがうかがわれる。また同文書には、ピトハナ、その子アニッタの名が登場しているが、これらはボアズキョイ文書のなかに出てくるクッシャラの王ピトハナ、その子アニッタと一致している。
 前1750年ごろアッシリア商人の活動は急速に弱まる。その背景の一つには、ヒッタイトが統一国家としての形態を整え始めたことがあげられる。ヒッタイト帝国は古王国と新王国に分けられる。古王国はラバルナ1世が前17世紀初頭に王位についてから、前16世紀後半のフズィヤ1世の時代まで、新王国は前15世紀中葉に即位したトゥドハリヤ2世から、前12世紀前半のシュッピルリウマ2世の時代までであるが、王名表、古王国と新王国との時代区分には依然問題が残されている。古王国の場合、ボアズキョイ文書の史料は新王国に比較して少ない。ラバルナ2世はクッシャラのアニッタによって呪(のろ)いをかけられ、放棄されていたハットゥシャに都を置き、自らの王名もラバルナからハットゥシリ1世とした。彼は「君主学の書」とよばれる遺言を残しており、不できの息子のかわりに孫のムルシリ1世に王位を与えている。ムルシリ1世はシリアのアレッポを急襲、その後、前1590年ごろにバビロン第一王朝の都バビロンに遠征、それを崩壊させるなどの外征を行った。ムルシリ1世はハットゥシャへ戻ったのちに暗殺され、ハットゥシャは内紛が続いた。ムルシリ1世以後、ハンティリ1世、ズィダンタ1世、アンムナ1世、フッズィヤ1世とめまぐるしく王は変わった。テリピヌ(在位前1525ころ~前1500ころ)は王位継承を基本とする「勅令」を成文化し、それまでの権力闘争に終止符を打った。テリピヌ以後、王位継承法は堅持され、アルルワムナ、ハンティリ2世、ズィダンタ2世、フズィヤ2世と古王国の後半は平穏に過ぎた。
 前15世紀中葉、トゥドハリヤ2世が即位、新王国時代を迎える。この時代は古王国と比較して史料が豊富である。新王国は、シュッピルリウマ1世(在位前1375ころ~前1335ころ)の時代に代表されるような、領土拡大に重点が置かれた。まずシュッピルリウマ1世はミタンニの内紛に乗じてミタンニ王の息子マッティザワを支援するとともに従属化に成功。エジプトのミタンニに対する影響は弱体化した。シュッピルリウマ1世没後、領土拡大政策をムルシリ2世(在位前1350ころ~前1315ころ)は続け、ルウィ人のアルザマを侵略、属国化を行った。その子のムワタリ(在位前1315ころ~前1284ころ)は前1285年ごろシリアのカデシュで、エジプト第19王朝のラムセス2世と、東地中海世界、シリアの覇権をめぐって雌雄を決する戦いを行っている。しかし双方譲らず、のちハットゥシリ3世(在位前1275ころ~前1250ころ)はラムセス2世と前1270年ごろ和平条約を締結、新王国は安定期を迎えた。しかし、これを境としてヒッタイトはしだいにその勢力を弱めていく。前1190年ごろシュッピルリウマ2世の治世に、小アジアの西側から侵攻してきた「海の民」によってハットゥシャは崩壊し、ヒッタイトにより約550年間続いた小アジアの支配は終焉(しゅうえん)を迎えた。[大村幸弘]
『大村幸弘著『鉄を生みだした帝国――ヒッタイト発掘』(NHKブックス) ▽ツェラーム著、辻訳『狭い谷、黒い山』(1958・みすず書房)』

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世界大百科事典内のヒッタイトの言及

【銀】より

…メソポタミアでは金より貴重とされ,バビロニアのハンムラピ王(前18世紀ころ)の時代には蓄蔵と支払に使用されていた。アナトリアにおこったヒッタイトは銀を含んだ鉛鉱石からおそらく灰吹精錬法に似た製法で銀を生産していたと思われ,フェニキア人はアナトリアから大量の銀をエジプトへ運んでいた。旧約聖書には,アブラハムがカナンへ来たとき,銀が支払に使用されていたことが記されている。…

【鉄】より

…前3千年紀,アラジャ・ヒュユクのハッティ人の王墓(前2500ころ‐前2400ころ)から出土した鉄剣は,人造鉄による大型の器具として最古のものである。前2千年紀にアナトリアに入ってきたヒッタイト人は,〈鉄〉を意味するハッティ語ハパルキhapalkiとともに土着の優れた製鉄技術を受け継いだ。新王国時代のハットゥシリ3世(在位,前1275ころ‐前1250ころ)は,アッシリア王と思われる外国の君主に,依頼された良質の鉄の提供を在庫品がないことを理由に断り,その代りに一振りの鉄剣を送付するという手紙を書いている。…

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