ソ連映画(読み)ソれんえいが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソ連映画」の意味・わかりやすい解説

ソ連映画
ソれんえいが

革命前,外国に遅れをとっていたソ連映画は,1917年の革命とともに始る。 19年に映画事業の国有化法が制定され,国立映画学校 (のちの国立映画大学) が開設されて,その特異的立場が規定されるようになった。それは映画が国家のイデオロギーで統一されること,映画制作についての研究が組織的に行われることを意味したのである。とはいえ 1920年代は野心的実験のときでもあった。そのなかから『戦艦ポチョムキン』 (1925) の S.エイゼンシュテインらすぐれた監督が輩出した。トーキー映画としては,N.エック監督の『人生案内』 (31) が初期の代表作として知られる。 34年に社会主義リアリズム運動が提唱されると,映画でもリアリズムと社会主義建設の英雄がクローズアップされた。また 30~40年代にかけては,アニメーション,児童映画などの本格的な制作活動が始り,ドキュメンタリー部門でもすぐれた成果があげられた。第2次世界大戦中の映画は,祖国防衛と反ファシズムを説き続けた。スターリンの死とともに訪れた雪どけ時代には,M.カラトーゾフ,A.タルコフスキーらが登場,新鮮な映像感覚は高く評価された。その後,芸術面では停滞したが,各共和国で民族色豊かな作品が発表された。やがて,70年代なかばに登場した N.ミハルコフらの若い世代は,ヨーロッパ的な映像手法を取入れて現代感覚あふれる作品を手がけるよになり,国際的な注目を集めた。そして,ペレストロイカ時代の到来とともに哲学的・反体制的な作品も目立ちはじめたが,ソ連邦崩壊に伴い,新生ロシアをはじめとする各共和国の映画は新たな時代を迎えつつある。

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