チャクリー朝(読み)チャクリーちょう(その他表記)Chakkri

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャクリー朝」の意味・わかりやすい解説

チャクリー朝
チャクリーちょう
Chakkri

タイの王朝。首都の名をとり,クルンテープ朝,バンコク朝,またタイ暦名をとり,ラタナコーシン朝ともいう。トンブリ朝のタークシン王に代わり,チャクリー将軍が 1782年バンコクに王朝を創建し,ラーマ1世と称した。1855年ラーマ4世モンクット王は,イギリスとの通商条約調印に続き欧米諸国に門戸を開放した。ラーマ5世チュラーロンコーン王は,明治天皇とほぼ同時代に在位し,タイの近代化に貢献し,やがて西ヨーロッパ教育の発達に伴って立憲革命 (1932) により絶対君主政治を立憲君主政治へと移行させた。1946年に即位したラーマ9世プミポン・アドゥンヤデートは,上座部仏教を保護し社会事業を推進,1973年の十月学生革命に際しては,事態の収拾に貢献した。しかし,これに続く 3年間の民主的政権時代はそれまでタブーであった王室批判の言動に機会を与えることにもなり,1976年10月の軍部のクーデターを招き,王の立場は困難なものとなった。1977年10月のクーデターによって出現したクリアンサックの軍事政権は柔軟路線をとったため,内外の危機にもかかわらず,王室の立場は一応安定したものとなった。

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