プミポン・アドゥンヤデート(英語表記)Bhumibol Adulyadej; Phumiphon Adunlayadet

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

プミポン・アドゥンヤデート
Bhumibol Adulyadej; Phumiphon Adunlayadet

[生]1927.12.5. アメリカ合衆国,マサチューセッツケンブリッジ
[没]2016.10.13. タイ,バンコク
タイ国王在位 1946~2016)。チャクリー朝の第9代の王。祖父ラーマ5世チュラーロンコーン)で,アメリカ合衆国のハーバード大学に留学中だったマヒドン親王の子として生まれた。1935年から王位にあった兄のラーマ8世(アーナンタ・マヒドン)が,1946年6月に変死したため,王位を継承しラーマ9世を称した。スイスで政治学,法律学を修め,1950年4月遠縁のシリキット・キッティヤコンと結婚,翌 5月正式に国王に即位した。長い在位期間を通じて国民の強い支持を受け,立憲君主制における王でありながら,タイの政治的危機に際してたびたび重要な役割を演じた。1973年十月学生革命では,タノーム・キティカチョーン軍事政権追放の決断を示し,1974年10月新民主憲法を公布。1992年4月にスチンダ・クラプラユン陸軍司令官が首相に就任し,それに反発して生じた民主化運動が国軍によって鎮圧された際には(「流血の5月」事件),スチンダ首相と反対勢力の指導者チャムロン・スリムアンを召喚和解を求め,のち事態はスチンダ首相の辞任で収拾した。両者が国王に謁見する光景はテレビ中継され,国王の威信を象徴するものであった。2006年6月,即位 60年を記念して国をあげた祝賀行事がとり行なわれ,行事前日には,1950年代から私財を投じて実施された農村地帯の生活向上のための開発計画に対し,国際連合から人間発展功労賞が授与された。同 2006年の国軍によるタクシン・チナワット政権に対するクーデターでは,首謀者と政権を承認した。2009年には肺炎で入院し,国民的に国王の健康への懸念が高まった。2014年のインラック・チナワット政権を倒した軍事クーデターでも軍事政権を支持したが,この頃には公の場に姿を見せることは少なくなっていた。

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