ラーマ1世(その他表記)Rama Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「ラーマ1世」の意味・わかりやすい解説

ラーマ[1世]
Rama Ⅰ
生没年:1737-1809

タイの現王朝ラタナコーシン朝の創設者(在位1782-1809)。トンブリー朝タークシン王のとき,軍最高司令官となりプラヤー・チャクリPhraya Čhakri(のちチャオプラヤーに昇進)の名を賜った。1782年精神錯乱に陥ったタークシンの後を受けてタイ国王に推挙されると,新都をトンブリー対岸のクルンテープ(バンコク)に移した。15年前に滅亡したアユタヤ朝の繁栄の再現を目ざした王は,弛緩した仏教サンガ規律を経律の結集(けつじゆう)によって立て直し,《三印法典》を定めて国内秩序の基礎を固めた。また宮廷を中心に盛んに文芸を奨励し,《ラーマキエン》《イナオ》《サームコック》などの傑作を生み出させた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーマ1世」の意味・わかりやすい解説

ラーマ1世
ラーマいっせい
Rama I

[生]1737. アユタヤ
[没]1809.9.7. バンコク
タイ,チャクリー朝の創始者 (在位 1782~1809) 。本名ピヤチャクリー・ラーマ。トンブリ朝の武将であったが,同朝のタークシン王が処刑されたあとをうけてチャクリー朝を開き,トンブリの対岸バンコクに都を移し,二重堀をめぐらした城市を築いた。外政ではビルマと戦争を続け,バンコク亡命中のベトナムの阮氏の一族阮福映 (のちの嘉隆帝) を支援し西カンボジアを領有 (1795) ,また中国清朝との朝貢貿易を促進し,広東-バンコク間の交易を伸展させた。内政ではアユタヤ朝法規を収集し,三印法典を編集した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラーマ1世」の解説

ラーマ1世(ラーマいっせい)

バンコク朝

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世界大百科事典(旧版)内のラーマ1世の言及

【タイ】より

… 現在のタイの核心域をなすメナム川流域は,11世紀以来アンコール朝の支配下にあったが,13世紀の前半にいたり,二つのタイ族〈ムアン〉連合軍が,クメール族太守支配下のスコータイを攻略し,ここにタイ族最初の国家スコータイ朝を建設した。スコータイの版図は,第3代の王ラーマカムヘン(在位1275ころ‐99ころか1317ころ)のとき最大規模に達した。同王の碑文によると,その勢力は,北はルアンプラバン,東はビエンチャン,西はペグー,南はナコーンシータマラートにまで及んだが,王の死後,急速に衰微した。…

【ラーマキエン】より

…古来東南アジアの人々に広く親しまれているインドの大叙事詩《ラーマーヤナ》のタイ語版。ラーマキエンとは〈ラーマの栄光〉の意。…

※「ラーマ1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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