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ナロードナ・オドブラナ Narodna Odbrana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナロードナ・オドブラナ
Narodna Odbrana

1908年に結成されたセルビア愛国主義者の政治文化団体。セルボ=クロアチア語で「民族防衛」の意。1908年10月7日のオーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア,ヘルツェゴビナ併合に対処して組織され,セルビア政府の支持下に反オーストリア宣伝活動とテロ訓練に従事した。しかし 1909年3月1日の対オーストリア覚え書によってセルビア政府がオーストリアに友好的態度をとったため,国民を「精神的,肉体的,道徳的に訓練する」民族主義的教育文化団体に変わった。1914年サラエボでのオーストリア大公フランツ・フェルディナント暗殺の責めを問われて国際的に有名となった(→サラエボ事件)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナロードナ・オドブラナ
なろーどなおどぶらな
Narodna odbranaセルビア語

セルビアの民族主義的組織名。「民族防衛団」と訳す。1908年10月、オーストリア・ハンガリー二重王国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合した直後、同地の領有をもくろんでいたセルビア王国の文民グループが組織。文化活動を中心に、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人に大セルビア主義に基づく民族運動を広めようとした。第一次世界大戦に際し、オーストリアはセルビアに対する最後通牒(つうちょう)のなかで、この組織がサライエボ事件の背後にあるとみなした。[柴 宜弘]

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世界大百科事典内のナロードナ・オドブラナの言及

【サラエボ事件】より

…オーストリア政府は,この事件の背後で糸を引くのがセルビアだと非難して,最後通牒をつきつけた。この最後通牒によると,1908年末にセルビアで組織された〈ナロードナ・オドブラナ(民族防衛団)〉がその背後団体だとされた。しかし,刺客に武器を供与するなどの援助をしたのは,大セルビアの実現を目指す秘密組織〈統一か死か(黒手組)〉であった。…

※「ナロードナ・オドブラナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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