ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大セルビア主義」の意味・わかりやすい解説
大セルビア主義
だいセルビアしゅぎ
Movement for Greater Serbia
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セルビア人が居住する全地域を統合しようとする政治思想。1830年にセルビアは自治を獲得し公国となったが,周辺に多数のセルビア人が居住していた。44年にセルビア公国の内相ガラシャニンは外交政策の基礎となる「ナチェルターニエ(指針)」を公表。これが大セルビア主義の基礎となった。「ナチェルターニエ」では,中世セルビア王国最盛期ドゥシャン王の時期の領域が想起され,ブルガリアと友好関係を維持しつつ,周辺のボスニア,ヘルツェゴヴィナ,モンテネグロ,アルバニア北部からなる新たな国家の建国がめざされた。さらに,ガラシャニンは南スラヴの統一を考え,ハプスブルク帝国のセルビア人居住地域であるダルマツィアや「軍政国境地帯」をも視野に入れて,外交活動を展開した。近代セルビア外交の基礎となる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
第一次世界大戦前のバルカンにおける民族主義の総称。セルビア公国の政治家ガラシャニンIlija Garašanin(1812―1874)は、1844年にセルビア外交政策の指針として「ナチェルターニエ」Načertanijeを発表した。このなかで、「セルビアの使命は、ハプスブルク帝国とオスマン帝国に対する南スラブ人の民族解放闘争の準備をし、率先してそれを進めることだ」と説いた。この考えが大セルビア主義の基礎となる。1904年にセルビア王国の首班となったパシチは、外交方針としてセルビア人の居住する地域すべての統一を掲げ、大セルビア主義的政策を推進した。このため、ハプスブルク帝国内のセルビア人にも多大な影響を与え、セルビアとオーストリアとの対立関係を強めた。そして、両国の対立は、第一次世界大戦の直接的な原因となった。
第二次世界大戦時のチェトニク、ユーゴスラビア紛争時のミロシェビッチに対しても、その政策を説明するため「大セルビア主義」ということばが使われた。
[柴 宜弘]
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