バッキンガム公 (バッキンガムこう)
George Villiers,1st Duke of Buckingham
生没年:1592-1628
イギリス国王ジェームズ1世の寵臣。彼の専横によって国王に対する議会の攻撃が強まり,のちのピューリタン革命の遠因をつくった。1614年宮廷に入り,国王の寵愛を集めて23年には公爵に昇進。同年皇太子チャールズ(1世)を伴いマドリードに赴き,スペイン王女との婚姻を成立させんとしたが失敗。対スペイン強硬論に転じて25年新王のもとでカディス攻撃を企てて敗北し,ついでフランス新教徒援助の遠征にも失敗した。たび重なる失敗,軍事費負担の増大は議会の強い反発を買い,26年には弾劾され,28年には解任要求が出されたが,いずれも国王は議会を解散・停会することによって彼を救った。私怨を抱いた旧軍人によって暗殺された。
執筆者:今井 宏
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「バッキンガム公」の意味・わかりやすい解説
バッキンガム公【バッキンガムこう】
イングランド国王ジェームズ1世の寵臣。その専横によって議会の国王に対する批判が高まり,のちのピューリタン革命の遠因をつくった。1614年宮廷に入り,国王の寵愛を集め,短期間に爵位をあげて1623年には公爵に昇進。皇太子チャールズ(のちの1世)を伴ってマドリードに赴き,スペイン王家との婚姻関係を打ち立てようとしたが失敗。対スペイン強硬論に転じて新国王のもとで1625年カディスを攻撃して敗れ,ついでフランスの新教徒援助のための遠征にも失敗。この度重なる失政と戦費の増大に議会を中心に批判が高まり,1626年には弾劾され,1628年には解任要求が出されたが,国王はいずれも議会を解散・停会することによってかばった。私怨を抱いた元軍人によってポーツマスで暗殺された。
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世界大百科事典(旧版)内のバッキンガム公の言及
【チャールズ[1世]】より
…そのため,この国王の宮廷をヨーロッパにおける最後のルネサンス宮廷とみる評価がある。しかし統治においては寵臣[バッキンガム公]の専横が国民の不満を買い,また,スペインのカディスへの遠征やフランスのラ・ロシェルのユグノー救援に失敗し,国庫を枯渇させて重税を課し,議会との摩擦を生んだ。そのため第3議会は1628年〈権利請願〉を提出,イギリス国民の既得権に基づいて国王の失政を批判した。…
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