パラッツォ・ピッティ(英語表記)Palazzo Pitti

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パラッツォ・ピッティ」の意味・わかりやすい解説

パラッツォ・ピッティ
Palazzo Pitti

イタリア,フィレンツェのアルノ川左岸にあるピッティ家の邸館。設計者についてはブルネレスキ説とアルベルティ説とがあり,建設年代も前者では 1440年頃,後者では 58年頃始められたとされる。中央の窓7個を含む部分が最も古く,16世紀にアンマナーティにより改造,拡張が行われ,17世紀にも増築され,18~19世紀に両側の突出部が完成されて今日の姿になった。壁面は3層にわたって粗石積み (ルスティカ様式 ) が採用された堂々とした建物である。 1466年のピッティ家の陰謀失敗後,メディチ家の所有となった。現在パラティーナ美術館,近代美術館,工芸美術館が同居している。パラティーナ美術館には,ピッティ家とメディチ家のコレクションが所蔵され,ラファエロの『大公の聖母』などルネサンス期の名作が多い。また付属するボボリ庭園はルネサンス期の大庭園として知られる。

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世界大百科事典(旧版)内のパラッツォ・ピッティの言及

【ピッティ美術館】より

…イタリアのフィレンツェにある国立美術館。ガレリア・パラティーナGalleria Palatina(王宮美術館)とも言われ,銀器美術館,近代美術館とともにパラッツォ・ピッティPalazzo Pitti内にあり,2階左半分(北部)を占める。このパラッツォは,15世紀後半にフィレンツェの富裕な商人であったピッティLuca Pittiの邸宅として着工,1549年にはメディチ家の手に渡り,以後メディチ家代々の邸館として増築が重ねられ,背後には広大なボボリ庭園も設けられた。…

【ボボリ庭園】より

…フィレンツェのパラッツォ・ピッティPalazzo Pittiに付属する庭園。16世紀半ば,このパラッツォ(館)がメディチ家のものとなったとき,コジモ1世の妃エレオノーラがトリボロ,アンマナーティらに命じて造らせた。…

【リュクサンブール宮殿】より

…パリ市内セーヌ左岸にある17世紀初頭建設の宮殿。フィレンツェのメディチ家からアンリ4世に嫁いだマリー・ド・メディシスが,故郷のパラッツォ・ピッティを模して建立したもの。設計はS.deブロスで,彼はフランス・ルネサンスの城館の平面を適用してそこにルスティカ仕上げの3層の宮殿を計画し,1615年に礎石が打たれた。…

※「パラッツォ・ピッティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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