パリ音楽院(読み)ぱりおんがくいん(英語表記)Conservatoire National Supérieur de Musique, Paris

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パリ音楽院」の意味・わかりやすい解説

パリ音楽院
ぱりおんがくいん
Conservatoire National Supérieur de Musique, Paris

フランスの国立音楽専門学校。フランス革命前から存在した歌唱学校を母体に、ゴセックらの努力により1795年設立。翌年10月、100人余の教員と351人の学生で発足ヨーロッパ最古の、水準の高い音楽教育の場として広く知られ、フランスの高名な作曲家、演奏家でパリ音楽院に学ばなかった者はほとんどいない。フォーレなど高名な音楽家が院長を務め、教授陣の著した教則本、練習曲集などは国内外で用いられている。一定の枠を設けて外国人留学生も受け入れ、各科ごとに卒業試験が公開で行われる。その結果、一等賞、二等賞が授けられた者だけが卒業資格を得る。19世紀には専用ホールをもち、ベートーベンの作品の紹介などがF・A・アブネックらにより行われた。また教授を中心にした演奏協会が組織され、管弦楽団パリ音楽院管弦楽団)による演奏会も行われたが、1967年パリ管弦楽団へと発展的に解消した。

[美山良夫]

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百科事典マイペディア 「パリ音楽院」の意味・わかりやすい解説

パリ音楽院【パリおんがくいん】

コンセルバトアール

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世界大百科事典(旧版)内のパリ音楽院の言及

【音楽学校】より

…日本では雅楽寮(701)が初めての組織的・意図的な音楽・舞踊の教習を行ったが,その対象は特定の家系に属する子弟に限定されていた。 こうした外的条件(親がいないこと,特定の家系に属することなど)に関係なく,純粋に音楽の能力や意欲をもつ者に対して広く門戸を開いたのがフランスのパリ音楽院(1795)であり,当初から高度の専門教育機関を目指している。今日各国に存在する音楽学校は,このパリ音楽院の性格と内容に影響を受けて発展してきたものである。…

【フランス音楽】より

…しかしフランス革命は,その思想がベートーベンを鼓舞したにせよ,彼に匹敵する音楽家をフランスに与えるどころではなかった。ただ革命政府は,1795年,既存の施設を基盤にしてフランスの誇るパリの国立コンセルバトアール(パリ音楽院)を新しく発足させた。 コルシカ出身のナポレオンは,パイジェッロ,F.パエル,スポンティーニらイタリアの音楽家をひいきにした。…

※「パリ音楽院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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