ファラーイジー運動(読み)ファラーイジーうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「ファラーイジー運動」の意味・わかりやすい解説

ファラーイジー運動 (ファラーイジーうんどう)

19世紀初め,インドの東ベンガルでシャリーアトッラーSharī`at Allāh(1781-1840)が創始したムスリムの社会改革運動。彼は2度のメッカ巡礼を行い,出身地のファリードプル(東ベンガルのデルタ地帯)を中心にムスリム農民の間を説教して回り,ムスリムとしての宗教的義務(ファラーイズFarā'iẓ)を厳しく守ることを訴え,運動参加者にはムスリムの生活に取り入れられたヒンドゥー教慣習儀式を捨てるように誓わせた。この運動はその子,ムハンマド・ムフシヌッディーンに引き継がれてから,戦闘的な農民運動に発展し,彼は1840年代に運動の組織化を図り,自ら頂点に立ち〈教団の長〉となった。彼は〈土地は神のものである〉と説き,地主による土地の独占は許されないと主張したため,ムスリム小作農民がこの運動に加わり,農民による地主襲撃が起こった。57年,インド大反乱(セポイの乱)が起こったとき,地主襲撃を扇動した疑いで彼は逮捕され,拘禁中に死んだ。彼の死後,運動は衰えたが,東ベンガルではその後も長く農民運動の一つとして,この運動を継承する小グループが残存していた。
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