ファリナッチ(英語表記)Roberto Farinacci

改訂新版 世界大百科事典 「ファリナッチ」の意味・わかりやすい解説

ファリナッチ
Roberto Farinacci
生没年:1892-1945

イタリアのファシスト政治家。北イタリアのクレモナ地方を基盤に暴力的なファシズム運動を展開し,地域の支配権を握る。ムッソリーニ政府成立後のファシスト党国家の権限争いで,党人派の中心人物としてファシズム革命の継続を唱え,1925-26年党書記長を務めた。抗争に敗れたが,その後もファシズム体制の保守化を批判して強硬路線を主張,ユダヤ人排斥の先頭に立つなどした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ファリナッチ」の意味・わかりやすい解説

ファリナッチ
Farinacci, Roberto

[生]1892.10.16. イゼルニア
[没]1945.4.28. ミラノ
イタリアのファシスト政治家。初め社会主義者の鉄道員であったが,第1次世界大戦後ファシズム運動 (→ファシズム ) の推進者となり,戦闘的ファシズムの指導者として活躍。 1921~43年国会議員,25~26年ファシスト党書記長。 35年ファシスト大評議会のメンバー,38年国務相。熱烈なナチス・ドイツの支持者となり,第2次世界大戦へのイタリア参戦を推進。 43年 B.ムッソリーニの失脚後,ローマから逃亡したが,45年パルチザンに捕えられ即決裁判で処刑された。

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世界大百科事典(旧版)内のファリナッチの言及

【ファシズム】より

…ファシストの襲撃行為には行動隊squadraが編成され,復員士官,地主や商人の子弟,学生などが加わり,〈懲罰遠征〉と称して都市から農村へ出かけて,社会党,〈同盟〉,協同組合の活動家や事務所を襲撃した。このポー平原のファシズムのなかから,フェラーラのバルボ,クレモナのファリナッチらラスras(エチオピアの地方豪族の意味)と呼ばれる地域ごとの実力者が生まれ,彼らは行動隊の暴力の行使に依拠して地域社会の支配権を確立した。こうしたポー平原のファシズムは農村ファシズムと特徴づけられて,ムッソリーニらの都市ファシズムと区別されたが,農村ファシズムの大衆運動によって,ムッソリーニの活動も息を吹き返した。…

※「ファリナッチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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