旺文社世界史事典 三訂版 「フィウメ問題」の解説
フィウメ問題
フィウメもんだい
Fiume
大戦前はオーストリア領であったが,住民はイタリア・ユーゴスラヴィア系の両者。1919年のパリ講和会議ではイタリアが領有を強く主張したが,ユーゴスラヴィアスラヴィア領とされた。この間,1919年にイタリアの詩人ダヌンツィオがここを武力占領したため,翌20年イタリア・ユーゴスラヴィア間のラパロ条約で自由市とされた。1924年ムッソリーニが政権を握ると,ユーゴスラヴィアと単独でローマ条約を結んでフィウメを併合したが,第二次世界大戦後再びユーゴスラヴィア領とされた。
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