(1)1920年11月12日,イタリアのジェノバの近くの町ラパロでイタリアとユーゴスラビアの間で結ばれた国境画定条約。第1次世界大戦後,イタリアはロンドン秘密条約(1915)に基づいてアドリア海対岸のダルマツィア地方を要求,詩人ダンヌンツィオに率いられた義勇軍はフィウメ(現,リエカ)を占領し,これらの領有権を主張するユーゴスラビアと対立した。しかしこの条約によりイタリアは,フィウメの自由市化を約し,ダルマツィア地方を放棄した。
→フィウメ占領
(2)1922年4月16日,ラパロでドイツとロシア・ソビエト共和国連邦の間で調印された条約。これによって両国は,相互に賠償請求権を放棄し,外交・領事関係を直ちに再開し,最恵国待遇を約した。そのまえの4月10日から戦債・賠償問題に関する国際経済会議がジェノバで開かれていたが,ドイツとイギリス,フランスの交渉は難航し,またソビエト側と西側諸国との交渉も,ロシアの戦時中の債務と革命政権によって国有化された外国人資産の補償をめぐって行き詰まった。そこで16日夜,ソビエト代表(チチェーリン外務人民委員)は,ドイツ代表(ラーテナウ外相)に対し,4月初めベルリンで2人の間ですでに口火の切られていた国交回復交渉の再開を申し入れ,その日のうちにスピード妥結したのが,この条約である。独ソ両国はここに国際的孤立からの脱出の〈てこ〉を手に入れ,ラパロはその後両国友好関係の代名詞となった。
執筆者:平井 友義
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イタリアのジェノバ近郊ラパロRapalloで締結された条約で、二つある。(1)1920年11月12日、イタリア、ユーゴスラビア間に結ばれた条約。フィウーメ(リエカ)を自由国とし、両国間の国境を確定した。なお、フィウーメは1924年のローマ条約でイタリアのものとなった。(2)1922年4月16日、ジェノバ会議のさなかに、ドイツ、ソ連間に締結された条約。第一次世界大戦後、敗戦国ドイツと社会主義国ソ連はともに国際的に疎外された存在であったが、ソ連はとくに経済建設と赤軍強化のためドイツとの協力を欲した。他方、ドイツ国防軍は秘密再軍備のためソ連との協力に積極的であり、ドイツ重工業界も経済協力に乗り気であった。ただ、完成品業界とくに電機業界はソ連市場に魅力を感じつつも西欧側との協力を重視していた。電機業界からドイツ外相に就任したW・ラーテナウは、当初イギリス首相ロイド・ジョージとの協力に傾いていたが、ジェノバ会議における仏ソ接近への不安感から、首相ウィルトと外務省東方局長マルツァンに説得されて、条約調印に踏み切った。ラパロ条約は、賠償その他請求権の相互放棄、外交領事関係の回復、最恵国待遇の適用、通商経済関係の促進を定めた。軍事条項はなかったが、同条約は独ソ秘密軍事協力の重要な支えとなった。独ソ両国が協力してベルサイユ体制に対抗したところに歴史的意義がある。
[栗原 優]
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イタリアのラパロ(ジェノヴァの近く)で結ばれた次の二つの条約をさす。
①〔1920〕1920年11月12日,イタリアとユーゴスラヴィアが結んだ条約。両国間の係争の地フィウメに関し,その一部をユーゴスラヴィア領とし他を独立自由市とすることを定めた。
②〔1922〕1922年4月16日,ジェノヴァ会議に出席中のソヴィエト・ロシアとドイツの代表が調印した条約。ソヴィエト政権を承認した最初の例である。賠償の相互放棄,ドイツのソ連新政権に対する債権放棄,外交関係の回復,最恵国待遇の適用,経済関係の促進を約し,両国の国際的地位の回復に役立った。
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