日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラパロ条約」の意味・わかりやすい解説
ラパロ条約
らぱろじょうやく
イタリアのジェノバ近郊ラパロRapalloで締結された条約で、二つある。(1)1920年11月12日、イタリア、ユーゴスラビア間に結ばれた条約。フィウーメ(リエカ)を自由国とし、両国間の国境を確定した。なお、フィウーメは1924年のローマ条約でイタリアのものとなった。(2)1922年4月16日、ジェノバ会議のさなかに、ドイツ、ソ連間に締結された条約。第一次世界大戦後、敗戦国ドイツと社会主義国ソ連はともに国際的に疎外された存在であったが、ソ連はとくに経済建設と赤軍強化のためドイツとの協力を欲した。他方、ドイツ国防軍は秘密再軍備のためソ連との協力に積極的であり、ドイツ重工業界も経済協力に乗り気であった。ただ、完成品業界とくに電機業界はソ連市場に魅力を感じつつも西欧側との協力を重視していた。電機業界からドイツ外相に就任したW・ラーテナウは、当初イギリス首相ロイド・ジョージとの協力に傾いていたが、ジェノバ会議における仏ソ接近への不安感から、首相ウィルトと外務省東方局長マルツァンに説得されて、条約調印に踏み切った。ラパロ条約は、賠償その他請求権の相互放棄、外交領事関係の回復、最恵国待遇の適用、通商経済関係の促進を定めた。軍事条項はなかったが、同条約は独ソ秘密軍事協力の重要な支えとなった。独ソ両国が協力してベルサイユ体制に対抗したところに歴史的意義がある。
[栗原 優]