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ベニゼーロス

百科事典マイペディアの解説

ベニゼーロス

ギリシアの政治家。クレタ島生れ。反トルコ独立戦争に参加,1899年クレタ自治政府法務大臣。1909年立憲改革派指導者としてギリシアに招かれ,1910年―1933年の間5度首相となり,第1次大戦に参戦,王制廃止と共和制確立など大ギリシア主義を推進。
→関連項目トルコ・ギリシア戦争

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世界大百科事典 第2版の解説

ベニゼーロス【Elefthérios Kyriákos Venizélos】

1864‐1936
クレタ島出身のギリシアの政治家。アテネ大学で法律を学んだのち,当時オスマン帝国支配下にあったクレタ島に帰郷して地方政界に入る(1887)。1889年,96‐97年の反乱で頭角を現し,クレタ自治政府の法務大臣(1899‐1901)を務めた。1910年,立憲改革派のリーダーとして招かれギリシア王国の首相となる。バルカン戦争,第1次世界大戦を通じて大ギリシア主義を推進したが,20年王党派に敗れ失脚した。24年,35年に一時復帰して第2次ギリシア共和政の大統領も務めた。

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世界大百科事典内のベニゼーロスの言及

【ギリシア】より

… 1909年,前年の青年トルコ革命に触発されてギリシアでも青年士官たちが〈軍人同盟〉を結成し,クーデタによって政権を握った。このとき招かれて首相となったのがクレタ島出身のベニゼーロスで,彼はギリシアの近代化と〈メガリ・イデア〉の実現に努め,2度のバルカン戦争(1912‐13)を通じてエピロスの大部分,マケドニア南半,トラキア西部を獲得,領土をほぼ2倍にした。13年ゲオルギオス1世はテッサロニキで暗殺され,その子コンスタンティノス(在位1913‐17,1922)が王位を継いだが,血縁上親独派の彼は第1次大戦に際して中立を望み,親英派で三国協商側に立つことを主張したベニゼーロスと争った。…

※「ベニゼーロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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