改訂新版 世界大百科事典 「トルコギリシア戦争」の意味・わかりやすい解説
トルコ・ギリシア戦争 (トルコギリシアせんそう)
オスマン帝国からの独立(1830)後,旧ビザンティン帝国の失地回復をめざすギリシアと,国土防衛を図るトルコとの間の2度の戦争。(1)1860年代以来,ギリシア本土への併合をめざすクレタ島のギリシア系住民のたび重なる反乱を利用したギリシアが,1897年2月,クレタ島へ軍隊を派遣。同年4月オスマン帝国がギリシアに宣戦してギリシア軍を破ると,イギリス,フランス,ドイツ,ロシア,オーストリア,イタリアの6ヵ国の仲介により,5月に休戦が成立した。ギリシアは,400万ポンドの賠償金支払を要求されたが,クレタ島は,オスマン帝国の宗主権下に自治を獲得した(1913年本国合併)。(2)第1次世界大戦後,ギリシアはアナトリア西岸のイズミルへ軍隊を上陸させ(1919年5月15日),セーブル条約(1920年8月)によってこの町の管理権を約束され,西アナトリアへ進攻して〈イオニア国家〉構想を打ちだした。しかし,トルコ人による祖国解放運動の前に敗北し,イズミルから撤退(1922年9月9日)すると,〈大ギリシア主義〉を推進したクレタ島出身の首相ベニゼーロスは失脚し,これを後援したイギリス首相ロイド・ジョージもその地位を退いた。
執筆者:永田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報