改訂新版 世界大百科事典 「ペルーボリビア連合」の意味・わかりやすい解説
ペルー・ボリビア連合 (ペルーボリビアれんごう)
Confederación Peruano-Boliviana
1836年10月に宣言された南部および北部ペルーとボリビアからなる政治連合。S.ボリーバルの大連合の試みが挫折して以来もペルーとボリビアの統合の可能性はつねに残されていたが,リマにおけるカウディーリョの権力抗争のなかで,ボリビア大統領サンタ・クルスが,前年リマ政府を追われたオルベゴーソと同盟を結びボリビアの指導下に連邦を樹立した。しかし両国がいかに歴史的共通点を有していたとしても,連邦による中央アンデス全体への版図拡大は,とくにチリの安全にとって脅威であり,チリ政府はリマ政府との合意により軍隊を派遣,翌39年1月,リマの北ユンガイでガマラA.Gamarra(1785-1841)らのペルー軍とともに連邦軍と衝突した。この戦争で連邦軍が敗れ,連邦も解体した。しかしその後1841年,ボリビアでの政変に乗じて,今度はペルーのガマラ大統領が連邦を樹立しようとするが,この試みも失敗した。
執筆者:遅野井 茂雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報