ディケンズ(読み)でぃけんず(英語表記)Charles John Huffam Dickens

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディケンズ」の意味・わかりやすい解説

ディケンズ
でぃけんず
Charles John Huffam Dickens
(1812―1870)

イギリス小説家。2月7日、海軍経理局勤務の下級官吏の長男として南イギリスの軍港ポーツマス郊外に生まれ、のちロンドンに移住した。父のジョンは好人物だが金に締まりがなく、借財不払いで投獄されたこともある。そのためディケンズは少年時代から貧乏の苦しみをなめさせられ、学校にもほとんど通わせてもらえず、12歳から町工場に働きに出された。資本主義の勃興(ぼっこう)期にあった19世紀前半のイギリスの大都会では、繁栄の裏に恐ろしい貧困と非人道的な労働(年少者の酷使など)というひずみがみられた。こうした社会の矛盾、不正を肌で体験したディケンズは、貧乏の淵(ふち)から抜け出そうと自力で必死の努力を重ね、独学で勉強しながら15歳で弁護士事務所の下働き、翌年裁判所の速記者となり、やがて新聞記者となって議会の記事や、風俗の見聞スケッチを書くようになった。1833年に短編をある雑誌に投稿して採用されたのに力を得て、引き続き短編、小品などをあちこちの雑誌類に発表、これらを集めた『ボズのスケッチ集』が36年に出版されて、24歳の新進作家が華々しく文壇にデビューした。

 翌1837年に完結した長編小説『ピックウィック・ペーパーズ』は、4人(途中から5人)の人物が旅する先々で滑稽(こっけい)な事件を巻き起こすという単純な筋だが、その明るいユーモアで爆発的な人気をよび、次作『オリバー・トゥイスト』(1838)もベストセラーとなって、彼の作家的地位は確立した。その後イギリスとアメリカのあらゆる階層、年齢の読者からの声援にこたえて、『ニコラス・ニックルビー』(1838~39)、『骨董(こっとう)屋』(1840~41)、『バーナビー・ラッジ』(1841)、『クリスマス・キャロル』(1843)、『ドンビー父子』(1846~48)など、立て続けに長・中編を発表して文名は高まる一方であった。この高評の原因は、自らの体験で知った社会の下積み生活、その哀歓をリアルに描くとともに、世の不正と矛盾を勇敢に指摘し、しかもユーモアを交えながら批判したところにあった。事実、彼の小説の出現によって、年少者の虐待や裁判の非能率などが改められたほどである。

 1850年に完結した自伝的作品『デビッド・カパーフィールド』あたりから、作品の質がすこしずつ変わってきて、ディケンズ後期の特徴が顕著になってくる。次作『荒涼館』(1853)がそのよい例で、前期の作品のように1人の主人公の生い立ちや体験を中心に描くのではなく、かなり多くの人物群を中心に、社会の各層を広く見渡す、いわゆるパノラマ的社会小説に近くなってきた。作品のなかに立ちはだかる、個人の力ではついに改善しきれない社会の体制の壁を前にして、ディケンズ得意のユーモアもどこか苦々しい笑いに変わり、無力感、挫折(ざせつ)感が全編に漂うようになった。しかし創作力は依然として衰えず、工場ストライキを扱った『つらいご時世』(1854)、G・B・ショーによって「『資本論』よりも危険な書」と評された暗い社会小説『リトル・ドリット』(1855~57)、フランス革命を扱った『二都物語』(1859)、やや自伝的な『大いなる遺産』(1861)などの長編のほか、かなり多くの短編、随筆を書き、さらに雑誌の経営・編集、慈善事業への参加、素人(しろうと)演劇上演自作の公開朗読、各地への旅行と、休む暇のない精力的な活動が続いたために健康を損じたが、やめようとはしなかった。

 そのうえ58年には、20年以上連れ添い10人の子供を産んだ妻キャサリンと別居(性格があわないうえ、20歳そこそこの若い女優エレン・ターナンを愛人にもったためという。しかし世間の評判を気にして離婚はできず、愛人のこともひた隠しにしていた)するなど、精神的な苦労も重なり、70年6月9日、推理小説風の謎(なぞ)に満ちた『エドウィン・ドルードの謎』を未完成のまま世を去った。全世界、各階層の哀悼のなかで、文人最高の栄誉としてウェストミンスター寺院に葬られた。

 彼の小説は、一部からは読者に迎合した感傷的で低俗なものと非難されるが、人間味とユーモアに富む数々の登場人物は、永遠に忘れられない溌剌(はつらつ)さをもっており、死後1世紀を通じて各国語に翻訳されて、トルストイ、ドストエフスキーからカフカに至る崇拝者をもち、シェークスピアとともにイギリス文学を代表する作家と認められている。なお、ディケンズ・フェロウシップ日本支部が東京都世田谷(せたがや)区成城(せいじょう)の成城大学英文学研究室内に置かれている。

[小池 滋]

『青木雄造・小池滋訳『世界文学大系29 荒涼館』(1969・筑摩書房)』『小池滋訳『リトル・ドリット』(『世界文学全集33・34』1980・集英社)』『海老池俊治著『ディケンズ』(1955・研究社出版)』『フィールディング著、桜庭信之訳『ディケンズ』(1956・研究社出版)』『小池滋著『ディケンズ』(1979・冬樹社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディケンズ」の意味・わかりやすい解説

ディケンズ
Dickens, Charles John Huffam

[生]1812.2.7. ハンプシャー,ポートシー
[没]1870.6.9. ケント,ギャッズヒル
イギリスの小説家。海軍下級官吏の父が破産したため,靴墨工場で働くなど,貧困生活を味わう。長じて速記記者となり,『ピクウィック・クラブ遺文録』 The Posthumous Papers of the Pickwick Club (1836~37) の成功によって一躍流行作家となった。豊かな才筆から自在に生れるユーモアとペーソス,弱者へのあたたかい同情を含んだ庶民性など,その独特の作風によって,イギリスの代表的な小説家と認められる。『オリバー・トゥイスト』 Oliver Twist (38) ,『骨董屋』 The Old Curiosity Shop (40~41) ,『クリスマス・カロル』A Christmas Carol (43) ,『デービッド・カパーフィールド』 David Copperfield (49~50) ,『荒涼館』 Bleak House (52~53) ,『二都物語』A Tale of Two Cities (59) ,『大いなる遺産』 Great Expectations (60~61) などの小説は,ときに戯画的,メロドラマ的であるが,深い社会的関心と豊かで自然な創作力を示している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報