リマ(読み)りま(英語表記)Lima

翻訳|Lima

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リマ」の意味・わかりやすい解説

リマ
Lima

ペルーの首都。またリマ県の県都。ペルー中部,太平洋岸の砂漠地帯にあり,東のアンデス山脈から流下するリマク川南岸の河口近くに位置する。熱帯の低地 (標高約 150m) にあるが,沿岸を北流する冷たいペルー海流の影響で,月平均気温は夏でも 20~23℃,冬は 15~18℃。年間わずか 30~40mmの降水は,ガルアと呼ばれる霧雨となって降る。年間を通じて雲に覆われる日が多い。インカ帝国の征服者 F.ピサロは当初アンデス山中にあったインカの首都クスコに植民地政府を置いたが,1535年スペイン本国との連絡に便利な沿岸部にリマを建設,植民地の首都をここに移した。 1544年ペルー副王領の設置とともにその首都とされ,太平洋沿岸の交易と内陸部からの鉱産物により繁栄。しばしば海賊の攻撃を受けたため,1680年代市壁が築かれ,1770年には外港カヤオ要塞が建設された。 1616年に2万 5000であった人口はしだいに増加,1775年5万 4000,1876年 10万,1940年までには 50万をこえた。この間 1821年ペルーがスペインから独立するとともにその首都となった。 19世紀末にはカヤオとアンデス山中のラオロヤまで鉄道が通じて,太平洋岸,内陸部両方面と結ばれ,また農村部からの人口流入により安価な労働力が得られ工業が発達した。ペルーの工業生産の大半を生産する工業中心地で,織物プラスチック製材,医薬品,化学,合成繊維などの工業が立地し,重工業も発達している。市の発展に伴って都市域も拡大,19世紀初めには南のプエブロリブレに,20世紀にかけては南にミラフロレス,バランコ,チョリヨス,西にカヤオ,北にリマク川北岸のリマクへと広がった。カヤオと連接してリマ=カヤオ大都市圏を形成し,ペルーの総人口の3分の1近くが集中する過密都市となっている。市内には近代的なビルに混じって植民地時代の古い建築物も数多く保存され,特に碁盤状に設計された旧市街は当時の面影を色濃く残しており,1988年世界遺産の文化遺産に登録。ペルーの文化中心地でもあり,市内には 1551年南アメリカ最初の大学として創設されたサンマルコス大学をはじめとする 10以上の大学があり,博物館,美術館,図書館,劇場などの文化施設が多い。カヤオと結ぶ鉄道と市電は 1963年廃止され,代わって市内の道路網整備,拡充され,太平洋岸を通るパンアメリカン・ハイウェーとアンデス山中へ延びる中央道路に連絡。カヤオには国際空港がある。人口 28万9855(2005推計)。

リマ
Lima, Alceu Amoroso

[生]1893.12.11. リオデジャネイロ
[没]1983.8.15. リオデジャネイロ
ブラジルの評論家。ブラジル大学法学部卒業後,ヨーロッパに遊学。 1919年から Tristão de Ataídeの筆名で文筆活動をするかたわら,カトリック高等研究所を創設,ブラジル大学学長を務め,同大学およびカトリック大学などで,ブラジル文学を教えるなど広く活躍。 1935年ブラジル文学アカデミー会員。初期には文芸評論家として活躍したが,カトリックに改宗してからは宗教,社会,政治の分野にわたり多くの読者をひきつけた。主著『アフォンソ・アリーノス』 Afonso Arinos (1922) ,『近代主義の歴史への貢献』 Contribuição à História do Modernismo (1939) ,『現代のブラジル詩』 Poesia Brasileira Contemporânea (1940) ,『文芸評論家』O Crítico Literário (1945) ,『ブラジル文学入門』A Introdução à Literatura Brasileira (1956) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リマ」の意味・わかりやすい解説

リマ
りま
Lima

南アメリカ中西部、ペルーの首都。同国の太平洋岸中部、サン・クリスバル台地の山麓(さんろく)に位置する。人口646万4693(1998)、1035万0721(2018推計)。同国の政治、経済、文化、教育の中心地である。オアシス地帯の綿花などの農産物の集荷地で、食料品、製鉄、精銅、製陶、家具などの工場が集中している。また交通の中心地でもあり、パン・アメリカン・ハイウェーが通じ、市を起点として道路や鉄道がアンデス山脈を越え、アマゾン低地に延びている。赤道近くの都市であるが、ペルー海流の関係で気温はそれほど高くならず、月平均気温は2月が最高で22.2℃、8月が最低で15.9℃である。一年中降雨がほとんどなく、年降水量は31ミリメートルにすぎない。また、夕方近くになると海霧が流れ込んできて、朝まで立ちこめることが多い。

 1535年、スペイン人ピサロにより、植民地支配のため「諸王の都」として建設され、以来南アメリカにおけるスペインの最大の拠点として発展した。1551年には、南アメリカ最初のサン・マルコス大学(現在はカヤオに移転)が設立され、1563年には、南アメリカ初の劇場も建設された。すでに4世紀半の歴史をもつ都市であるが、大都市として発展したのは近年で、植民地時代の壮麗な建物が近代的なビル群に入り交じり、中心部の市街はよく整備されている。スペイン風のバルコニーをもつ植民地時代の町並み、郊外の豪壮な高級住宅街、外縁部に広がる巨大なスラム街など、コントラストの強い市街構成をもつ。

 観光資源としては、ほかにピサロのものと称されているミイラのある大寺院、ラルコ・インカ博物館、天野博物館、付近のインカ遺跡などがある。天野博物館では、アンデス古代文化研究家で実業家の天野芳太郎(よしたろう)が収集した先インカとインカ時代の考古学的遺物をみることができる。大統領官邸、市庁舎などがある中央広場プラサ・デ・アルマスは、植民地時代からの中心地で、観光名所の大部分はこの地域に集まっている。ホルヘ・チャベスJorge Cháves国際空港(リマ国際空港)がある。

[山本正三]

 1988年にサン・フランシスコ修道院と大聖堂が、1991年に範囲を広げて「リマ歴史地区」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。

[編集部]

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