ボウリング条約(読み)ボウリングじょうやく

改訂新版 世界大百科事典 「ボウリング条約」の意味・わかりやすい解説

ボウリング条約 (ボウリングじょうやく)

1855年4月,タイがイギリスの全権代表ボウリング卿 John Bowring(1792-1872)とバンコクで締結した最初の修好通商条約。12条の修好条規,通商章程および税率表よりなり,自由貿易の原則,一律3%の関税,外国人の居住ならびに土地購入の条件,領事館の開設などが定められた。この条約,およびこれに引き続きタイと先進資本主義諸国との間で次々に結ばれた同種の条約によって,タイは近代国際法秩序を前提とする世界貿易体制に編入されることとなった。これに伴い旧来の閉鎖的な王室による独占貿易機構の崩壊過程が進行し,貿易独占から生じる利潤に依存したタイの伝統的権力機構は再編を迫られた。この条約以後タイの米輸出が大幅に増加すると,その需要に応じて米の生産を拡大させるため,無人荒野であったメナム川大平原一帯に急激かつ大規模な開田が始まり,今日見られるようなデルタの大稲作地帯が出現した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ボウリング条約」の解説

ボウリング条約
ボウリングじょうやく

タイ−イギリス友好通商条約

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ボウリング条約」の解説

ボウリング条約(ボウリングじょうやく)

バウリング条約

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のボウリング条約の言及

【タイ】より

… 4世王モンクット(在位1851‐68)は,先進資本主義諸国の自由貿易要求を受け入れ,開国政策によって,近代化の契機を開いた啓蒙君主として知られる。55年に締結されたボウリング条約は,支配層の伝統的経済基盤をゆるがせ,タイに社会秩序の再編成を迫った。また米輸出の解禁は商品米の生産を刺激し,やがて無人のチャオプラヤー・デルタをタイ最大の穀倉地帯へと変貌させた。…

※「ボウリング条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android