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モンドラーネ Mondlane, Eduardo Chivambo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モンドラーネ
Mondlane, Eduardo Chivambo

[生]1920.6. ガザ
[没]1969.2.3. ダルエスサラーム
モザンビークの解放運動指導者。生地で初等教育を終えたのち南アフリカへ渡り,レマナ高校を経て 1948年ウィットウォータースランド大学へ入学したが,モザンビーク学生協会のオルグ活動を行なったため,翌年政府から滞在許可を取消された。一度モザンビークへ帰ったのち,奨学金を得て 51年リスボン大学へ留学したが,警察当局の監視がきびしいため,51年9月アメリカへ渡り,オバーリン大学へ入学,53年卒業。次いでノースウェスタン大学へ移って社会学を専攻し,60年博士号を取得。この間 57年国連信託統治理事会の職員となり,60年 10月国連派遣団の一員としてカメルーンの住民投票を監察する仕事にたずさわった。翌 61年シラキューズ大学の教授になったがまもなく職を辞し,62年タンガニーカで開かれたモザンビーク解放戦線の創立大会に参加,初代議長に選出された。本部をダルエスサラームにおき,64年から対ポルトガル武装解放闘争を指導して,着々と成果をあげていったが,69年郵便爆弾により爆殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モンドラーネ
もんどらーね
Eduardo Chivambo Mondlane
(1920―1969)

モザンビークの解放運動指導者。南部ガザ地方に農民の子として生まれる。南アフリカのウィットワーテルスラント大学在学中、解放運動に関心をもち逮捕され本国送還された。その後ポルトガル、アメリカに留学、とくにポルトガルのリスボンで多くの解放運動者と接触、アメリカでは国連の信託統治領調査官となった。1961年帰国し、各地に分散していた解放組織を統合して1962年モザンビーク解放戦線(FRELIMO(フレリモ))を結成。タンザニアを本拠として1964年9月モザンビーク植民地政府に対してゲリラ闘争を開始した。しかし、1969年2月3日、ダルエス・サラームのFRELIMO本部に送られてきた小包爆弾によって闘争なかばで死亡した。モザンビーク独立(1975)後、彼の功績を記念して、首都マプートにあった国立大学の名称がエドゥアルト・モンドラーネ大学に変更された。[林 晃史]

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367日誕生日大事典の解説

モンドラーネ

生年月日:1920年6月20日
モザンビークの解放運動の指導者
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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