旺文社世界史事典 三訂版 「ヨルダン王国」の解説
ヨルダン王国
ヨルダンおうこく
Kingdom of Jordan
もとはオスマン帝国の領地であったが,第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となった。1928年独立を認められてトランス−ヨルダン王国と称したが,外交・財政・軍事上の実権はイギリスが握っていた。第二次世界大戦後,アラブ民族主義運動の高揚により,1946年3月完全独立国となった。アラブ連盟に加入したが,アラブ諸国中最もイギリスに従順で,その軍事援助を受けた。しかし,民族主義運動の高まりにつれて親英的な国王は暗殺され,1957年にイギリス軍は撤退した。1948年の対イスラエル戦争(第1次中東戦争)では,イスラエルを破ってイェルサレムの旧市とパレスチナの一部(ヨルダン川西岸地区)を占領し,49年国名をヨルダン−ハシミテ王国とした。1967年の中東戦争ではイスラエル軍に大敗し,ヨルダン川西岸地区を占領された。1972年フセイン国王は,西岸地区に樹立されるパレスチナ自治国との「連合王国構想」を発表。1984年パレスチナ解放機構(PLO)と共同行動をとる枠組みに合意(アンマン合意)したが,86年に合意の凍結を宣言,87年PLOも正式に破棄を決定。1988年国王はイスラエル占領下のヨルダン川西岸地区の統治権放棄を宣言,PLOとの歩み寄りがみられた。1990年のイラクのクウェート侵攻に際しては,一時イラク寄りの姿勢をとる。1993年の複数政党制による下院選挙で,パレスチナ和平推進派が勝利し,イスラーム原理主義勢力は後退した。1994年イスラエルと平和条約を調印。1999年フセイン国王が死去,アブドラ皇太子が後継者となった。
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