ラインウェストファーレン石炭シンジケート(読み)ラインウェストファーレンせきたんシンジケート(英語表記)Rheinisch-Westfälisches Kohlensyndikat AG

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ライン・ウェストファーレン石炭シンジケート (ラインウェストファーレンせきたんシンジケート)
Rheinisch-Westfälisches Kohlensyndikat AG

ライン・ウェストファーレン地方の石炭業を支配した画期的なドイツの最有力カルテル。いわゆる〈大不況〉のもとで1878年以降石炭業にはさまざまなカルテルが生まれたが,90年ころライン・ウェストファーレン石炭業のカルテルを組織する販売会社が5社あい次ぎ設立された。そのうちコークス・カルテルを除く(のち参加)4社が業界の大立者キルドルフE.Kirdorfの指導のもとで結集し,93年98の参加企業の出資による株式会社の形でカルテル統括機構であるライン・ウェストファーレン石炭シンジケートが成立した。シンジケートは参加企業の生産を割当制限し販売を一手に集中した。また有力石炭商と結んで支店網をひろげ石炭市場における地域独占を実現,石炭価格の引上げを達成した。1900年ころルール出炭量の95%,全ドイツ石炭生産の50%はその支配下にあったといわれる。

 このシンジケートは出炭量を基礎に配分された各企業の参加権に従って運営され,元来水平的統合を経た大手炭鉱企業の支配するものであったが,やがて石炭業と鉄鋼業一貫兼営するいわゆる混合企業の進展におされて,03年の再編成後は混合企業大資本が支配するにいたり,むしろシンジケートによって大炭鉱企業の垂直的統合混合企業化が促進され,またこうした混合大企業の成長とともに銀行の重工業への影響にも減退がみられた。ドイツ重工業の企業集中の進展と独占組織の実質的基盤の形成,ドイツにおける資本集中と独占組織の展開の核心をなすものであり,ひいては近代カルテル史上に画期的存在であった。このシンジケートは,改編を重ねてザール地方をも含む西ドイツ石炭業を傘下におさめるカルテルとして存続したが,45年第2次大戦後占領国によって解体され,半世紀余の歴史を閉じた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラインウェストファーレン石炭シンジケートの言及

【カルテル】より

…〈カルテルの母国〉といわれるドイツでは,近代的なカルテルが1862年にブリキ産業で結成されているが,19世紀末までには石炭,鉄鋼,化学(苛性カリ,窒素,リノリウム,製塩など),セメント,ねじ,ガス・コークスなどの産業でカルテルが結成されている。その多くはシンジケートの形態をとるものであったが,1893年に結成されたライン・ウェストファーレン石炭シンジケートは,西部ドイツの石炭生産のほとんど大部分を支配する強固なカルテルであり,この時期のカルテルの動向を代表するものであったといえよう。 イギリスでもギルド組織から発展した先駆的カルテルが早くから結成されている。…

【鉄鋼業】より

…ドイツでは,カルテルコンツェルン形態の独占組織が発達し,とくに鉄鋼業において典型的に現れた。ティッセン,ドルトムント,ヘルデ,ヘッシュ,クルップなど,炭鉱・運輸・製鉄・機械部門を結合し,銀行資本と癒着したコンツェルン形態の金融資本がライン・ウェストファーレン石炭シンジケート(1893)や全国粗鋼カルテル(1904)を組織した。やや遅れて1900年代には,イギリスにおいても集中が進み,フランス鉄鋼業もカルテル化した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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