ラウワード朝(読み)ラウワードちょう(その他表記)Rawwādids; Rawwādīya(Āl-i Rawwād)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラウワード朝」の意味・わかりやすい解説

ラウワード朝
ラウワードちょう
Rawwādids; Rawwādīya(Āl-i Rawwād)

イランアゼルバイジャン支配したクルド系王朝 (955~1070/1) 。アッバース朝下にラウワード Rawwād b. Muthannāがタブリーズを領有したのが始り。 980/1年頃,アブル・ハイジャー・フサイン (在位 955~988) がサッラール朝を駆逐してアゼルバイジャンに支配を確立。バフスーダーン (在位 1019~54頃) のときシャッダード朝など周辺勢力やオグズ族侵入によく対抗し,最盛期を迎えたが,1054年セルジューク朝トグルル・ベグの宗主権下に入り,70/1年同朝のアルプ・アルスランによって廃された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む