ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルプ・アルスラン」の意味・わかりやすい解説
アルプ・アルスラン
Alp Arslan
[没]1073
セルジューク朝第2代のスルタン (在位 1063~73) 。チャグリ・ベグの子で,トグルル・ベグの甥にあたる。父や叔父のもとで,ガズニー朝との戦いなどに戦功をあげ,1063年トグルル・ベグの跡を継いだ。一族の反乱をしずめ,ニザームル・ムルクを宰相に抜擢して,彼に内政をゆだね,みずからは外征に専念。東方ではカラハン朝,ガズニー朝と和を結び,西方ではグルジア王国を従え,次いでファーティマ朝領に侵入して,アレッポを奪った。さらに 71年にはバン湖の北のマンジケルト (現在のマラズギルド) におけるビザンチン軍との会戦に大勝利を得 (→マンジケルトの戦い ) ,皇帝ロマヌス4世を捕え,以後のトルコ人による小アジア征服への道を開いた。しかし,翌 72年,カラハン朝との関係が悪化し,中央アジアに遠征中重傷を負い,没した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報