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ルティリウス・ナマティアヌス Rutilius Namatianus

世界大百科事典 第2版の解説

ルティリウス・ナマティアヌス【Rutilius Namatianus】

古代末期のラテン詩人。生没年不詳。フルネームはRutilius Claudius Namatianus。ガリアのおそらくトゥールーズ出身のローマ貴族で,文法,修辞学,ギリシア語をよく習得し,異教徒ではあったが,ホノリウス帝治下で書記官長(412)やローマ市長官(414)を歴任した。417年9月末にローマ市を離れ,ゲルマンに荒らされたガリアの自領を建て直すべく海路で帰郷。このときの模様を洗練されたエレゲイア詩形でつづった紀行詩2巻が残っているが,第1巻の冒頭は消失し,第2巻はわずか68行で終わっている。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のルティリウス・ナマティアヌスの言及

【ラテン文学】より

…しかし世界史概要を著したオロシウスはアウグスティヌスの影響を受け,叙事詩の韻律で《モーゼル川》を書いた詩人・修辞学者アウソニウスは,キリスト教徒であって,キリスト教徒による世俗文学の開祖とされるように,世俗文学の側からもキリスト教との握手が始まっている。古代ローマ精神の復活を図る世俗作家たちの代表格だった雄弁家シンマクスは,キリスト教に反対してアンブロシウスと論争し,また古典を学んでローマをたたえた詩人ルティリウス・ナマティアヌスも反キリスト教的であったが,しかし異教最後のラテン詩人クラウディアヌスには,もうそのような反抗はみられない。このほか5世紀初頭には文献学者マクロビウスや,いわゆる自由七科についての百科全書的記述によって,中世教育制度の基礎を築いた修辞学者のマルティアヌス・カペラがいる。…

【ローマ没落史観】より

…これに対してキリスト教側はキリスト教的ローマ理念をもって対抗するが,410年西ゴートによるローマ市略奪ののち,異教徒に対して最も有効な論駁(ろんばく)をなしえたのは,〈神の国〉と〈地の国〉を区別するアウグスティヌスの《神の国》であった。しかし,古代末期の知識人層は一般に地上のローマ帝国の永続を信じるローマ理念から脱却しきれず,ルティリウス・ナマティアヌスら異教徒にせよ,オロシウスらキリスト教徒にせよ,現今の老齢化が死に至るものであるとは予知せず,なお帝国の若返りを信じていた。
[中世から近代へ]
 中世においては,フライジングのオットーが《ダニエル書》の四世界帝国説に従って歴史叙述を行い,西ローマ帝国滅亡に神の審判をみて地上の権力のはかなさを説いたが,同時に彼は476年は狭義のローマ帝国の終焉(しゆうえん)にすぎず,帝権はフランク人に移行したとする。…

※「ルティリウス・ナマティアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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