ローマ理念(読み)ローマりねん

改訂新版 世界大百科事典 「ローマ理念」の意味・わかりやすい解説

ローマ理念 (ローマりねん)

ローマ帝国母体である都市ローマを抽象化し,ローマの名に普遍的支配や永遠性,文明秩序の象徴をみる思想。

ローマ理念の起源はローマ共和政末期にまでさかのぼる。すでに前2世紀,ローマの版図下に入った諸地方で,都市ローマを神格化した女神ローマRomaの礼拝が始まった。一方,ローマの支配の拡大と共和政末期の混乱は,ローマ人自身の間に没落観を生み出していた。それゆえいっそう,その混乱を終結させて元首政を樹立したアウグストゥスは秩序の再興者として称揚され,このアウグストゥス治下でローマ理念は最初の高揚期を迎えるのである。リウィウスは,ロムルスが神意によって建設した都市ローマが世界の女王となっていく過程を描き,ウェルギリウスは,最高神ユピテルがローマに領土の境も時の境もない永遠の支配を与えたと歌い,ホラティウスは,不幸からよみがえり,いっそうの高みへと昇るローマの運命をたたえた。そしてローマの支配は,平和や幸福や法を世界にもたらすものとして正当化される。こうして,その後のローマ理念を貫く主要なモティーフは,アウグストゥス時代にほぼ形成されたが,この時期のローマ理念は,現実の都市ローマと密着してその世界支配をたたえる,いわば民族主義的・帝国主義的ローマ理念であった。

 これに対し,五賢帝時代のギリシアの文人アリスティデスは,属州民,それもローマの支配の恵みにあずかる受益者層の立場からローマの支配をたたえ,文明化された全世界がローマの名にまとめられ,万人のための共通の祖国となったと歌い上げ,ローマの名を普遍的文明の象徴としていく。その後,3世紀の混乱のなかで都市ローマは現実の帝都ではなくなるが,こうして普遍化されたローマ理念は人々の心中に生き続ける。また,原始キリスト教時代には,ローマを〈大いなるバビロン〉としてその滅亡を預言したキリスト教においても,2世紀のサルディス司教メリトンMelitōnが,アウグストゥスによる平和の確立とキリスト降臨の同時性に神の摂理をみる哲学を打ち出した。

ローマ帝政後期になってゲルマンの脅威が深刻化してくると,ゲルマンの粗暴・野蛮に対する文明・秩序の象徴ローマへの信仰が再燃し,とくに378年アドリアノープルにおける敗戦以後の危機的状況のなかでその激しさを増す。反ゲルマン的なローマ愛国心の発揚はアンミアヌス・マルケリヌスに顕著であるが,アンブロシウスプルデンティウス,キュレネのシュネシオスらの著作に認められるように,キリスト教徒知識層もこの反ゲルマン感情を共有していた。4世紀初頭,コンスタンティヌス1世のイデオローグともいえるカエサレアの司教エウセビオスは,メリトンの哲学を継承してローマ帝国の摂理的使命を説き,皇帝は地上における神の似像(にすがた)であるとして,キリスト教的帝国理念,神寵帝理念を打ち出していた。このようなキリスト教的帝国理念においては,帝国外の蛮族が神の恩寵にあずからぬものとして排撃されたのも当然であった。

 ところで,この帝国のキリスト教化はローマの異教徒貴族層の激しい抵抗を受ける。その代弁者シンマクスは,永遠であるはずのローマの現今の老齢化は異教の不当な迫害ゆえと断じ,父祖伝来の宗教の尊重を訴えた。この異教側からの攻撃に応えてプルデンティウスは,真の神信仰へと悔い改めたローマは,今や聖使徒ペテロとパウロに守護された新聖都として永遠の支配を与えられたと歌い,伝統的な〈永遠のローマ〉理念をも包摂して,エウセビオス以来のキリスト教的ローマ理念を完成させた。これを粉砕したのが,410年の西ゴートによるローマ市略奪という事件であった。永遠であるはずのローマ市陥落が全ローマ世界に与えた衝撃のなかで,アウグスティヌスは地上のローマ帝国は名誉欲と支配欲の産物であり,なんら特別な永遠の存在などではないと断罪する。むろん410年以後も伝統的ローマ理念は,ルティリウス・ナマティアヌスや帝政末期のシドニウス・アポリナリス,また,ほかならぬアウグスティヌスの弟子オロシウスの著作になお鮮明に認められる。しかし,アウグスティヌスによって地上のローマ帝国の呪縛から切り離されたことにより,教皇レオ1世のローマ司教座の優位権主張を経て,理念としてのローマは西ローマ帝国滅亡後も延命しえたといえよう。

330年ローマ帝国の新首都となったコンスタンティノープルは,〈第二のローマ〉〈新しいローマ〉と呼ばれた。西ローマ帝国が存続している間は古いローマの権威が優先していたが,西の帝国消滅後は新ローマの支配は全世界に及び,永遠のものだと歌われた。しかし第二のローマも1453年滅亡する。この後1472年最後のビザンティン皇帝の姪を娶ったモスクワ大公イワン3世は,外国に対してツァーリ(カエサル)の称号を用い始め,その子ワシーリー3世の時代には〈二つのローマは滅んだが,今や第三のローマがある。第四のローマはありえない〉とされた(第三ローマ論)。

 一方,中世ラテン世界においては,普遍的秩序の象徴としてのローマ理念を担ったのはむしろローマ教皇であったが,フランクへのローマ帝国の委譲とみなされたカール大帝(シャルルマーニュ)の帝国や神聖ローマ帝国の建国もまた,実態はともあれ普遍的支配への主張であった。近代においてはローマ教皇から帝冠を受け,ルイ16世ではなくカール大帝の後継者を自認したナポレオン1世に,普遍的ローマ理念の影響が認められよう。他方,中世後期のイタリアでは,ローマ市住民を中心に民族主義的ローマ理念が生まれ,14世紀のコラ・ディ・リエンツォにおいて一つの頂点に達する。この民族主義的ローマ理念の高揚は,ルネサンス期人文主義者たちの活躍を経て,リソルジメントの原動力となり,さらには20世紀のファシズムにまで連なるものであった。
ローマの平和 →ローマ没落史観
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローマ理念」の意味・わかりやすい解説

ローマ理念
ろーまりねん
Idea of Rome 英語
Romidee ドイツ語

古代ローマ帝国の「ローマ」の名に、普遍的・恒久的な支配や文明・秩序を象徴させる思想。その最初の高揚期はローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの治下で、リウィウス、ウェルギリウス、ホラティウスなどの歴史家や詩人が、いまや世界の女王となった都市ローマの永遠性をうたった。ローマの支配を平和と幸福と法を世界にもたらすものとして正当化するこの時期のローマ理念は、なお都市ローマと密着した民族主義的、帝国主義的なものであったが、「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)下でギリシアの文人アリステイデスは、ローマの支配の受益者層の立場からその支配をたたえ、ローマの名を普遍的文明世界の象徴とする。都市ローマが現実の帝都ではなくなってからも、こうして普遍化されたローマ理念は生き続け、ゲルマン民族侵入の危機の時代に、ゲルマンの「野蛮」に対する文明の象徴ローマが想起され、さらに、危機ゆえにいっそうその永遠性への信仰が再高揚した。国教化されたキリスト教の側でも、プルデンティウスが聖使徒ペテロとパウロに守られた新聖都ローマの永遠性をうたい、4世紀初頭に司教エウセビオスが説いたキリスト教的ローマ帝国理念を完成させた。410年の西ゴート人によるローマ市の略奪は、ローマの永遠性を信じる人々を動揺させたが、伝統的ローマ理念は帝国末期の文人たちの著作になお鮮明に認められる。西ローマ帝国滅亡(476)後も、この理念は、「第二のローマ」すなわちコンスタンティノープルに、そしてその滅亡後は、「第三のローマ」としてのモスクワ大公国へと受け継がれていく。一方、中世西欧世界におけるカール大帝の西ローマ帝国復興や神聖ローマ帝国の建国も、ローマ理念の具現化であった。近代では、ローマ教皇から帝冠を受けカール大帝の後継者を自認したナポレオンにローマ理念の影響が認められる。

[後藤篤子]

『弓削達著『世界の歴史3 永遠のローマ』(1976・講談社)』『後藤篤子著『西ローマ帝国の没落とローマ理念』(弓削達編『新書西洋史2 地中海世界』所収・1979・有斐閣)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のローマ理念の言及

【オロシウス】より

…この書はエウセビオスの編年法に従い,リウィウス,ユスティヌス,エウトロピウスなど異教側史料にも依拠して,天地創造から417年までの歴史を扱い,その執筆目的ゆえに異教時代の災厄を強調する反面,キリスト教時代の災禍は軽視してキリスト教的進歩史観を示しており,中世に広く読まれた。またその記述は,ローマの征服と支配を断罪して属州民的郷土愛をうかがわせる一方で,征服の結果たるローマ帝国の成立とキリスト生誕の同時性を強調し,エウセビオス以来のキリスト教的ローマ理念をなお強く反映するなど矛盾も多い。ゲルマンに蚕食される西ローマ帝国にあってなお〈永遠のローマ〉への信仰から脱却しきれない,当時の知識人層の葛藤を示す一例とも言えよう。…

【西ローマ帝国】より

…だが西方でも,文明世界の代表にして偉大なるローマの理念は,とくにラテン的教養とカトリックを〈帝国〉なき後のローマ的世界の紐帯(ちゆうたい)とする貴族層を母体に受け継がれていた。フランク王カール大帝の戴冠(800)による西ローマ帝国の復興は,東方世界とは異なる独自の世界を形成しつつあった西方世界による,このローマ理念の具象化であった。ローマ【後藤 篤子】。…

※「ローマ理念」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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