日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローマ理念」の意味・わかりやすい解説
ローマ理念
ろーまりねん
Idea of Rome 英語
Romidee ドイツ語
古代ローマ帝国の「ローマ」の名に、普遍的・恒久的な支配や文明・秩序を象徴させる思想。その最初の高揚期はローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの治下で、リウィウス、ウェルギリウス、ホラティウスなどの歴史家や詩人が、いまや世界の女王となった都市ローマの永遠性をうたった。ローマの支配を平和と幸福と法を世界にもたらすものとして正当化するこの時期のローマ理念は、なお都市ローマと密着した民族主義的、帝国主義的なものであったが、「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)下でギリシアの文人アリステイデスは、ローマの支配の受益者層の立場からその支配をたたえ、ローマの名を普遍的文明世界の象徴とする。都市ローマが現実の帝都ではなくなってからも、こうして普遍化されたローマ理念は生き続け、ゲルマン民族侵入の危機の時代に、ゲルマンの「野蛮」に対する文明の象徴ローマが想起され、さらに、危機ゆえにいっそうその永遠性への信仰が再高揚した。国教化されたキリスト教の側でも、プルデンティウスが聖使徒ペテロとパウロに守られた新聖都ローマの永遠性をうたい、4世紀初頭に司教エウセビオスが説いたキリスト教的ローマ帝国理念を完成させた。410年の西ゴート人によるローマ市の略奪は、ローマの永遠性を信じる人々を動揺させたが、伝統的ローマ理念は帝国末期の文人たちの著作になお鮮明に認められる。西ローマ帝国滅亡(476)後も、この理念は、「第二のローマ」すなわちコンスタンティノープルに、そしてその滅亡後は、「第三のローマ」としてのモスクワ大公国へと受け継がれていく。一方、中世西欧世界におけるカール大帝の西ローマ帝国復興や神聖ローマ帝国の建国も、ローマ理念の具現化であった。近代では、ローマ教皇から帝冠を受けカール大帝の後継者を自認したナポレオンにローマ理念の影響が認められる。
[後藤篤子]
『弓削達著『世界の歴史3 永遠のローマ』(1976・講談社)』▽『後藤篤子著『西ローマ帝国の没落とローマ理念』(弓削達編『新書西洋史2 地中海世界』所収・1979・有斐閣)』