レバノン戦争(読み)レバノンせんそう

百科事典マイペディアの解説

レバノン戦争【レバノンせんそう】

1982年6月に始まるイスラエルのレバノン侵攻のこと。イスラエルは自国と接するレバノン南部に拠点をおくPLO(パレスティナ解放機構)とレバノン内戦以来レバノンに駐留するシリア勢力の追放を図って,レバノンに侵攻した。北上してPLO勢力を西ベイルートに包囲し,猛爆を行い,一般住民を含む多数の被害を出した。また,このときレバノンのキリスト教徒はパレスティナ難民の大量虐殺を行った。米国の調停で8月にPLOは西ベイルートを撤退。以後イスラエルがレバノン南部を占領下においたが,シーア派住民による武装闘争が激化し,1985年撤退した。
→関連項目パレスティナ問題ベイルートレバノン

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世界大百科事典内のレバノン戦争の言及

【パレスティナ問題】より

… これに対して,占領地を維持して占領地パレスティナ人をイスラエルの労働力として組み込みながら,占領地でのユダヤ人入植地の拡大を進めつつあったイスラエルは,77年リクード政権の成立後,77年エジプトのサーダート大統領のエルサレム訪問を機として,78年キャンプ・デービッド合意,79年エジプト・イスラエル平和条約(1982年春までにシナイ半島をエジプトに段階的に返還)によってエジプトと国交を樹立して,アラブ諸国を切り崩す一方,占領地のイスラエル化を促進し,80年エルサレム恒久首都化法,81年ゴラン高原併合,78年以降の継続的な南部レバノン攻撃によって,上記のような国際世論の動向に対して抵抗した。そして82年6月全面的なレバノン戦争を開始し,レバノンからPLOおよびパレスティナ人武装勢力を排除することに成功した。レバノン戦争によって,南部レバノンのイスラエル占領地という新しい問題も発生した。…

※「レバノン戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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