レーリヒ(その他表記)Nikolai Konstantinovich Rerikh

改訂新版 世界大百科事典 「レーリヒ」の意味・わかりやすい解説

レーリヒ
Nikolai Konstantinovich Rerikh
生没年:1874-1947

ロシアの画家,思想家,探検家。リョーリヒともいう。1897年ペテルブルグ大学,98年美術アカデミーを卒業後,パリに留学。帰国後画家として出発,好んで考古学および古代スラブ世界に画題を求めた。1910年代には教会の壁画とモザイク,舞台装飾にも新境地を開いた。18年以降ロシアを出,ヨーロッパ諸国を放浪した後,24-28年には妻エレナと長男のチベット学者ユーリーYurii Nikolaevich Rerikh(1902-60)とともに,カラコルム山脈タリム盆地アルタイモンゴルチベット高原を経てシッキムに至る大探検を行った。旅行記の《アルタイ-ヒマラヤ》(1929)およびユーリーの著作《内奥アジアへの旅》(1931)がある。29年以降インド北部のクルー渓谷(ナガル村)に居を定め,〈ウルスワチUrusvati〉という名のヒマラヤ研究所を創設した。晩年画風はヒマラヤを背景にした宗教的なものが多い。

 なお,彼は戦時における文化財保護の国際条約のために貢献したことでも知られている。ニューヨークに作品を集めた美術館Nicholas Roerich Museumがある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のレーリヒの言及

【シャンバラ伝説】より

…19世紀にはブラバツキーが出,シャンバラの賢者マハトマからの使命と称して神智学運動を開始し,またシャンバラ伝説をさらに神秘化させたと思われるスリランカの地下聖都アガルタAgharta伝説が,東洋通のフランス人神秘家ダルベードルSaint‐Yves d’Alveydreによって喧伝された。20世紀に入ってからは,ロシアの神秘思想家レーリヒが本格的にシャンバラ思想を展開し,ソ連とアメリカの和解と心霊的な世界連邦樹立を目指して活動した。そのため,アメリカではこの名がユートピアの同義語となり,J.ヒルトンの小説《失われた地平線》(1933)に描かれたチベット山中の理想郷シャングリラShangri‐Laのモデルともなった。…

【神秘主義】より

…なお,F.クノップフらのベルギー象徴派もこの流れに属する。またチベット密教に深く影響されたN.レーリヒは,東洋の神秘思想を寓意的に表現した無数のテンペラ画を制作した。 文学においても神秘主義は多くの実践者,同調者を見いだし,19世紀を通じてケルト文学の復興,ドイツ・ロマン主義,フランス象徴主義など重要な運動にかかわり合った。…

※「レーリヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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