アメリカの物理化学者。4月29日インディアナ州ウォーカートンに生まれる。モンタナ大学で動物学を学ぶ。第一次世界大戦中は徴用先のバレット・ケミカル社でTNT火薬生産用トルエンの製造に従事。終戦後モンタナ大学で2年間生物学を教え、1921年カリフォルニア大学化学科大学院に入学、ルイスに学ぶ。1923年学位取得後、留学先のコペンハーゲン大学でボーアに原子物理学、量子力学を学んだ。帰国後、ジョンズ・ホプキンズ大学準教授(1924)、コロンビア大学準教授(1929)、同大学教授(1934)を経て、1945年シカゴ大学教授となる。1923~1929年の間に原子構造と分光学に関する20編の科学論文を発表し物理化学者としての立場を揺るぎないものとした。1932年重水を分離し重水素を発見、この業績によって1934年ノーベル化学賞を受けた。第二次世界大戦中は、重水の製造、ウラン235(広島投下の原爆に使用)の生産の指導者として原爆製造(マンハッタン計画)に参加した。
戦後、広島における惨禍を知り、原子エネルギーの国際管理の提唱、大西洋連邦運動の推進、マッカーシー旋風の不正に反対する運動の支持などを行った。1950年ごろから宇宙化学の分野に転じ、同位体効果による古代温度測定、天体の成因や地球起源などに関する研究を行った。1933~1940年『Journal of Chemical Physics』誌の編集者。1月5日カリフォルニア州サンディエゴの自宅で死去した。
[大友詔雄 2018年12月13日]
アメリカの化学者。インディアナ州ウォーカートンの生れ。モンタナ大学で動物学を学び,のち化学に転じて卒業後一時化学会社に勤めた後,1919年モンタナ大学の化学の講師となった。さらにカリフォルニア大学のG.N.ルイスに学び,23年学位を得た後コペンハーゲンに留学し,N.H.D.ボーアのもとで学んだ。帰国後ジョンズ・ホプキンズ大学をへて,29年コロンビア大学準教授,34年教授となった。31年にはマーフィG.M.Murphy,ブリックウェッドF.G.Brickweddeとともに重水素を分光学的に確認し,また初めて重水を分離した。その功績によって34年ノーベル化学賞を受賞した。その後も多くの同位元素を分離し,また同位元素を含む物質の分光学的なデータにもとづく熱力学的な研究を行った。第2次大戦中はマンハッタン計画に参加し,コロンビア大学でSAM(Substitute Alloy Material)研究所所長として,重水やウラン,ホウ素などの放射性同位元素の分離に取り組み,原子爆弾の製造に寄与した。戦後シカゴ大学,カリフォルニア大学の教授を歴任した。その間,酸素の同位元素比を用いる古代温度測定法の確立や,ミラーS.L.Millerと共同で行った原始地球の還元的大気中での生命物質の発生に関する実験的研究は有名である。ほかにも地球や月など太陽系惑星の生成に関する研究をひろく取り扱い,発展させた。科学アカデミー宇宙科学局の一員でもあった。
執筆者:川合 葉子
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アメリカの化学者.モンタナ州立大学で動物学を学び,1917年卒業後,爆発物への興味を通じて化学に転じ,1923年カリフォルニア大学でG.N. Lewis(ルイス)のもとでPh.D.を取得.1929年コロンビア大学助教授,1934年同教授となる.1931年重水素の研究をはじめ,液体水素の分留によって重水素を濃縮し,その存在を分光学的に証明した.また,水の電気分解に長時間使用したアルカリ水溶液母液中の水の密度が普通の水より高いことを見いだし(1932年),重水製造法の端緒をひらいた.これらの業績により,1934年ノーベル化学賞を受賞.1936年以降には同位元素交換反応を利用した同位元素濃縮法により,13C,15Nなどを分離し,第二次世界大戦中には原爆製造のための235Uの濃縮計画にも参画した.1945年シカゴ大学教授,1958年カリフォルニア大学教授となる.戦後は地球化学的研究に興味をもち,貝殻中の酸素の同位元素組成の微小な差から,太古以来の地球の温度変化を推定した.また,惑星の生成機構や太古の地球の大気組成(H2,NH3CH4,が主)についての説を発表した.
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… 旅程のきびしさと風俗習慣のちがいにより,伺候中または途中で病死したり(初めの100年間に6人),意図的に処刑,殺害されたり(10人以上)したロシア諸公も,14世紀にはむしろ,ロシア支配層の勢力削減をはかるハーンの介入政策を逆手にとって,諸公国・ハーン国間の複雑な対立と同盟関係のなかで自己の地位の強化をはかっていく。たとえば,モスクワ公ユーリーは,中傷によってトベーリ公ミハイルをハーン国で刑死させるが,自分もまたミハイルの息子に復讐されて,1325年ハーンの宮廷で落命する。まもなくトベーリ公国に反モンゴル的な民衆蜂起が起こると,ハーンの命令に応じてタタールの大軍とともにトベーリに侵入し,これを徹底的に弾圧したのは,ユーリーの弟でモスクワ公のイワン・カリタ(1世)であり,彼はその翌年,ハーンからウラジーミル大公位を許される。…
※「ユーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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