ロンバルド=ベネト王国(読み)ロンバルド=ベネトおうこく(その他表記)Regno di Lombardo-Veneto

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロンバルド=ベネト王国」の意味・わかりやすい解説

ロンバルド=ベネト王国
ロンバルド=ベネトおうこく
Regno di Lombardo-Veneto

北イタリアに存在したオーストリア支配下の王国 (1815~59) 。ウィーン会議の結果オーストリアはロンバルディアベネトの両地方を合せてロンバルド=ベネト王国とし,ミラノベネチアの2ヵ所に総督府をおいて支配した。イタリア人愛国者の秘密結社をきびしく弾圧して,F.コンファロニエーレや S.ペリッコら多くの人物をスピエルベルクの監獄に送った。 1848~49年革命の時期にミラノ蜂起やベネチア共和国が生れて一時オーストリアの支配から脱したが,オーストリア軍の鎮圧により旧に復した。 59年サルジニア王国=フランス連合軍がオーストリア軍を破ってロンバルディアをサルジニア王国に併合したが,ベネトはイタリア王国成立後もオーストリア支配下にとどまり,66年の第3次イタリア独立戦争でようやくイタリア帰属が実現した。

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世界大百科事典(旧版)内のロンバルド=ベネト王国の言及

【ベネト[州]】より

…ベネト地方は1797年のナポレオンによるベネチア共和国制圧までの約4世紀の間,ベネチア共和国の一地方として繁栄した。ナポレオンの失脚後はオーストリアが支配し,ロンバルド・ベネト王国となったが,1866年イタリア王国に統一された。第1次大戦後,フリウリ地方がベネトに併合されたが,第2次大戦後,再び切り離され,ベネト州は大戦前の半分の面積に戻った。…

【ロンバルディア】より

…アーヘンの和約),ティチノ川以西が,サボイア家の支配下にはいることによって,ロンバルディアの現在の西の境界線が確定した。オーストリア治下において,ロンバルディア地方とベネチア共和国領との境界は,現在のものとかなり違っていたが,ナポレオン戦争後,1815年オーストリアの支配のもとにロンバルド・ベネト王国がつくられ,ベネチア政庁とミラノ政庁との境界が,ほぼミンチオ川に沿って設けられた。これが現在のロンバルディア州とベネト州との境界線として,ほぼ継承されている。…

※「ロンバルド=ベネト王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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