ヴィタリクリチコ(英語表記)Vitali Klitschko

現代外国人名録2016 「ヴィタリクリチコ」の解説

ヴィタリ クリチコ
Vitali Klitschko

職業・肩書
政治家,元プロボクサー キエフ市長,ウダル党首 元WBC・WBO世界ヘビー級チャンピオン

国籍
ウクライナ

生年月日
1971年7月19日

出生地
ソ連カザフスタン

経歴
195勝15敗のアマ戦績を残し、1996年11月アトランタ五輪メダリストの弟ウラジーミル・クリチコと同時にプロボクサーとしてデビュー。デビュー戦は2回KO勝ち。’99年6月WBO世界ヘビー級王者ハービー・ハイド(米国)を破り、タイトルを獲得。2000年4月3度目の防衛戦でクリス・バード(米国)に敗れ王座陥落。2003年6月WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイス(英国)に挑戦するが、6回TKO負け。2004年4月ルイスの引退で空位となったWBC世界ヘビー級王座決定戦でコーリー・サンダース(南アフリカ)に8回TKO勝ちを収め、王座を獲得。2005年11月右膝靭帯を負傷して、引退を表明したが、2008年10月、4年ぶりの復帰戦でいきなりWBC世界ヘビー級王者サミュエル・ピーター(ナイジェリア)にTKO勝ちして王座を獲得。同年2月にはウラジーミルがIBFとWBOの統一ヘビー級チャンピオンになっていたため、史上初の兄弟同時世界ヘビー級王者となった。2011年7月にはウラジーミルがWBA・IBF・WBOの統一チャンピオンとなり、自身もWBC王座を6度防衛中だったため、主要4団体の王座を兄弟で独占する初の快挙となった。2012年9月マヌエル・チャー(ドイツ)を4回TKOで破りWBC王座9回目の防衛に成功し、引退を表明。通算47戦45勝(41KO)2敗。202センチ、112キロ。リーチ203センチ。“クリチコ兄弟”として知られる。一方、政治家としても活動し、親欧米派のウクライナ有力政党・ウダルの党首も務める。2014年キエフ市長に当選

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ヴィタリクリチコ」の解説

ヴィタリ クリチコ
Vitali Klitschko
ボクシング

プロボクサー WBC世界ヘビー級チャンピオン
生年月日:1971年7月19日
国籍:ウクライナ
出生地:カザフスタン
経歴:195勝15敗のアマ戦績を残し、1996年11月アトランタ五輪メダリストの弟ウラジーミル・クリチコと同時にプロボクサーとしてデビュー。デビュー戦は2回KO勝ち。’99年6月WBO世界ヘビー級王者ハービー・ハイド(米国)を破り、タイトルを獲得。2000年4月3度目の防衛戦でクリス・バード(米国)に敗れ王座陥落。2003年6月WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイス(英国)に挑戦するが、6回TKO負け。2004年4月ルイスの引退で空位となったWBC世界ヘビー級王座決定戦でコーリー・サンダース(南アフリカ)に8回TKO勝ちを収め、王座を獲得。2005年11月右膝靭帯を負傷して、引退を表明したが、2008年10月、4年ぶりの復帰戦でいきなりWBC世界ヘビー級王者サミュエル・ピーター(ナイジェリア)にTKO勝ちして王座を獲得。同年2月にはウラジーミルがIBFとWBOの統一ヘビー級チャンピオンになっていたため、史上初の兄弟同時世界ヘビー級王者となった。2011年7月にはウラジーミルがWBA・IBF・WBOの統一チャンピオンとなり、自身もWBC王座を6度防衛中だったため、主要4団体の王座を兄弟で独占する初の快挙となった。通算47戦45勝(41KO)2敗。202センチ、112キロ。リーチ203センチ。一方、政治家としても活動し、ウクライナ野党第2党・ウダルの党首も務める。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

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