ウラジーミル(読み)うらじーみる(英語表記)Владимир/Vladimir

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウラジーミル」の意味・わかりやすい解説

ウラジーミル
うらじーみる
Владимир/Vladimir

ロシア連邦西部、ウラジーミル州の州都モスクワ北東約190キロメートル、クリャジマ川左岸の港市で、ロシアの古都として知られている。人口33万9200(1999)、34万6922(2012推計)。ロシア革命後、工業都市として発展し、主要工業はトラクター、自動車部品、モーター製造、化学(プラスチック)、軽工業、建築資材工業である。多くの建築記念物があり、多数の外国人観光客が訪れる。12世紀建造の「金の門」、ウスペンスキー寺院などがあり、多くの美術品が保存されている。さらにウラジーミルとその北方26キロメートルにあるスズダリには白壁の建造物群が多く残されており、1992年世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。工科大学、教育大学、人形劇場がある。鉄道の分岐点。

[中村泰三]

歴史

市の起源は、1108年ウラジーミル・モノマフ公がこの地に要塞(ようさい)を築いたのに始まる。1157年、アンドレイ・ボゴリュープスキー公がここをウラジーミル・スズダリ公国の首都とするに至ってとくに発展し、当時のロシアの首都キエフ(現、ウクライナキーウ)にかわって新たな政治的中心となっていく。1299年には、ロシア教会の首長たるキエフ府主教もこの地に居を構えるに至った。だがウラジーミルの繁栄は長続きせず、このころから急速に台頭してきたモスクワの前に影響力を失う。1326年には府主教もモスクワに移った。以後、ウラジーミルはモスクワ(および後のロシア)国家の一地方都市にすぎなくなった。

[栗生沢猛夫]


ウラジーミル(1世)
うらじーみる
Владимир Святославич/Vladimir Svyatoslavich
(?―1015)

ロシアのキエフ大公。980年ごろ兄ヤロポルクを殺し、キエフ(現、キーウ)を奪取四方の敵と戦い、キエフ大公国の版図を大いに拡大した。988年、ビザンティン皇帝の妹アンナを妃(きさき)に迎えたのを機会に、帝国に倣って東方キリスト教を国教として採用した。このため聖ウラジーミルとよばれる。その治世下、キエフ・ロシアキエフ・ルーシ)は政治、経済、文化面において発展し、後代の人々に強い印象を与えた。英雄叙事詩ブイリーナбылина/bïlinaでしばしば公がたたえられているのはその現れである。

[栗生沢猛夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウラジーミル」の意味・わかりやすい解説

ウラジーミル
Vladimir

ロシア西部,ウラジーミル州の州都。モスクワの東北東約 180km,クリャジマ川に臨む河港都市。1108年ウラジーミル2世(モノマフ)が建設した古都で,クリャジマ川沿いの交易で繁栄。1157年アンドレイ・ボゴリュプスキーウラジーミル=スズダリ公国の首都をここに移し,多くの建築物を建てた。その後数回にわたりタタール人の侵攻を受け,しだいに衰退した。ロシア革命後,工業都市として発展。繊維(綿,アマ),機械(モータ,自動車部品,トラクタ),化学(プラスチック)などの工業が発達している。教育大学,工科大学がある。モスクワとニジニーノブゴロド(旧ゴーリキー)を結ぶ鉄道,ハイウェーが通る。ウラジーミル=スズダリ公国時代に建てられたウスペンスキー大聖堂(1158~60),ドミトリー聖堂(1194~97)などが現存し,1992年スズダリの建造物群とともに世界遺産の文化遺産に登録。人口 34万5598(2010)。

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