デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一定文八」の解説 一定文八 いちじょう-ぶんぱち 1823-1910 幕末の尊王家。文政6年9月12日生まれ。淡路(あわじ)(兵庫県)三原郡市村の人。文久3年廃帝淡路公(あわじのきみ)の諡号(しごう)請願を巡視中の徳島藩主嗣子蜂須賀正韶(はちすか-まさあき)に直訴し,投獄される。釈放後も長州落ちした七卿にはたらきかけたという。維新後の明治3年淡路公に淳仁(じゅんにん)天皇の諡号がおくられ,三原郡の墓が山陵とされた。明治43年8月21日死去。88歳。名は豊久。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例