デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一条忠香」の解説 一条忠香 いちじょう-ただか 1812-1863 江戸時代後期の公卿(くぎょう)。文化9年2月13日生まれ。一条忠良の4男。昭憲皇太后の父。久我建通(こが-たけみち)の兄。文政3年従三位,安政5年内大臣,6年左大臣。従一位。文久2年新設の国事御用掛に子実良らと就任。養女が徳川慶喜(よしのぶ)の夫人でもあり,将軍継嗣問題では一橋派を支持。公武合体派で,尊攘(そんじょう)派の公家(くげ)と対立した。文久3年11月7日死去。52歳。法号は後大勝寺。日記に「璞記(はくき)」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「一条忠香」の解説 一条忠香 (いちじょうただか) 生年月日:1812年2月13日江戸時代末期の公家1863年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の一条忠香の言及 【煎茶道】より …中国西湖の水を取り寄せ,淀川に流して茶を煮たというエピソードもある。38年一条忠香の召を受け,その庭前で煎茶を献じ,のち〈煎茶家元〉の染筆を下賜された。 これとほぼ同じころ,京都の御典医小川可進(1786‐1855)も,煎茶家として独立し活躍した。… ※「一条忠香」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by