日本歴史地名大系 「一王寺跡」の解説 一王寺跡いちおうじあと 福井県:福井市旧坂井郡地区一王寺村一王寺跡[現在地名]福井市一王寺町一王寺町の西山麓にあった寺。本堂跡・鐘撞堂跡のほか、方丈(ほうじよう)・大門(だいもん)などの地名も残る。寺跡には朽ちた木仏のほか、永正元年(一五〇四)・大永六年(一五二六)・天文(一五三二―五五)・弘治(一五五五―五八)などの紀年銘を有する石仏が散乱する。応永二一年(一四一四)の滝谷寺門徒之次第(滝谷寺文書)に「七番 一王寺」とみえ、また東寺百合文書中にも文安二年(一四四五)八月四日の越前国一王寺東寺修造料足奉加人数注進状が発見されている。真言宗の寺であったらしい。文明二年(一四七〇)一一月一〇日の朝倉孝景安堵状写(大安寺文書)によれば、一王寺領が坂南(さかみなみ)郡本郷にあった。天正(一五七三―九二)初年の一向一揆によって焼亡したが、一部再興されたらしく、慶長七年(一六〇二)の滝谷寺末寺帳(滝谷寺文書)に「一王寺本覚坊・同財幸坊」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by