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一色藤長 いっしき ふじなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一色藤長 いっしき-ふじなが

?-1596 戦国-織豊時代の武将。
丹後(京都府)宮津城主。将軍足利義輝につかえ,永禄(えいろく)6年幕府御供衆(おともしゅう)となる。8年義輝が暗殺されると,その弟足利義秋(義昭)の将軍擁立につくす。元亀(げんき)4年将軍義昭が織田信長に追放されたのちも,義昭の将軍復帰を策し奔走した。文禄(ぶんろく)5年4月7日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

一色藤長

没年:慶長1.4.7(1596.5.4)
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。室町幕府近習一色晴具の子。京都生まれ。従五位下式部少輔。永禄6(1563)年には幕府御供衆。同8年将軍足利義輝が横死し,その弟一乗院覚慶(義昭)も興福寺に幽閉されたが,藤長は細川藤孝らと計ってこれを脱出させた。その後義昭と共に近江,若狭,越前と流寓するが,同11年9月の義昭入京によって将軍近習に復活する。天正1(1573)年7月義昭が織田信長に追放されて以降は再び義昭と共に流寓し,毛利氏のもとに客将となる。金地院(以心)崇伝はおいに当たる。

(今谷明)

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世界大百科事典内の一色藤長の言及

【一色氏】より

…さらに織田信長から丹後国を与えられた長岡(細川)忠興が1582年(天正10)一色義俊を謀殺し,続いてその叔父義清をたおし,ここに四職家の一色氏は滅亡した。他方満範の子持範の子孫一色藤長は,足利義昭,織田信長,豊臣秀吉に歴仕し,藤長の子範勝は幕臣となったが,範勝の曾孫範永が早世して,家が絶えた。ほかに庶流数家が幕臣となる。…

※「一色藤長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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