改訂新版 世界大百科事典 「寺院版」の意味・わかりやすい解説
寺院版 (じいんばん)
寺院において僧の手により,非営利的に開版(板)された書物の総称。日本では平安時代,写経供養に代わってはじめて摺経(すりきよう)供養(経典を印刷することで供養を行う)が行われたが,いずれも死者の冥福(めいふく)を祈り,罪業障滅をねがうためのものが多かった。
奈良の興福寺を中心とした春日(かすが)版,鎌倉初期以来高野山において開版された高野版,醍醐(だいご)寺で開版された醍醐寺版,比叡山で開版された叡山版,京都の知恩院を中心とした浄土教版,奈良の諸大寺(東大寺,西大寺ほか)による奈良版,さらに鎌倉時代から南北朝(14世紀)を経て,室町時代末期(16世紀)にいたる,京都の五山を中心として開版された五山版など,とくに寺院版として著名である。寺院版ははじめは仏典に限られたが,鎌倉時代に入って,入宋僧の手により,仏典以外の儒書,詩文集,医書などの移入をみた結果,やがてそれらの復刻および国書の刊行をみた。室町末期から江戸時代にかけ,営利的出版業者が現れるにおよんで,寺院版はしだいに姿を消すにいたった。
寺院版のコラム・用語解説
【主要な寺院版】
- 叡山版
- 比叡山延暦寺で開版したものをいうが,京都で開版された天台宗の経典類をもいうことがある。のちには,伝教(でんぎよう)大師にちなんで伝教版ともいう。初期のものとして《法華三大部》(1279-96)などが知られているが盛んであったのは1600年代初めである。
- 西大寺版
- 奈良西大寺の叡尊(えいそん)らの手で開版された律宗関係の本。叡尊著《梵網経古迹記科(ぼんもうきようこしやくきか)》(1275)などが含まれる。西大寺は,鎌倉時代には開版活動がきわめて盛んで,東大寺をしのぐほどであった。
- 浄土教版
- 鎌倉時代,浄土宗をはじめ浄土教の流行に伴って,京都の知恩院を中心に開版された本の総称。用紙が純白で良質,印刷は漆黒,両面刷,冊子型を特徴とする《黒谷上人語灯録》18巻(1321)などが知られる。
- 泉涌(せんにゆう)寺版
- 鎌倉時代,京都東山の泉涌寺において,律三大部73帖の宋刊本の復刻を中心に開版されたものの総称。最古のものに道玄の開版した《仏制比丘六物図》1帖(1246)がある。
- 大安寺版
- 南都七大寺の一つ大安寺では,素慶が《中論偈頌(げしよう)》1帖(1292),《法華義疏》12帖(1295)などを開版したことが知られているが現存しない。
- 大徳寺版
- 京都の臨済宗大徳寺で鎌倉末期から南北朝・室町時代にかけて開版された《虚堂和尚語録》《大応国師語録》《大灯国師語録》などを称する。
- 東大寺版
- 鎌倉中期からは奈良の東大寺でも華厳,三論などの開版が行われた。とりわけ《大乗起信論》(1243)などが知られる。また江戸初期には古活字版の印行も盛んに行われた。
- 東福寺版
- 京都東山の臨済宗東福寺で1288年(正応1)9月から翌89年2月までに,応庵,密庵,虎丘,破庵,雪竇和尚の語録が開版された。その後南北朝・室町時代に盛んに開版事業が行われ,慶長(1596-1615)以後の古活字版にもおよんでいる。
- 法隆寺版
- 鎌倉初期,奈良の法隆寺から聖徳太子に関する書物が開版された《梵網経》(1220),《三経義疏(さんぎようぎしよ)》(1247),《十七条憲法》(1285)などがある。
- 本国寺版
- 京都の法華宗本国寺では,《天台四教義集解》3巻(1595),《法華玄義序》1帖(1595)を活字印行,慶長後半から寛永(1624-44)初期にかけても古活字版を印行している。
- 妙心寺版
- 京都の臨済宗妙心寺から,室町末期に《碧巌録(へきがんろく)》が開版され,再度復刻された。また慶長・元和年間(1596-1624)にも古活字版の印行がある。《雲門匡真禅師広録》3巻(1613),《臨済録》1巻(1613)などが印行された。
- 要法寺版
- 京都の要法寺では円智日性(えんちにつせい)の手で,慶長初年より活字開版が行われ,1600年(慶長5)に《法華経伝記》《倭漢皇統編年合運図》などを印行,その後も活字版および整版による開版を華々しく行った。
- 臨川寺版
- 京都の臨済宗臨川寺では,1341年(興国2・康永1)に《仏果圜悟禅師心要》《霊源和尚筆語》を開版,以後室町初期の1433年(永享5)までに十数種の開版が行われている。
→古活字版
執筆者:庄司 浅水
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報