日本歴史地名大系 「七ッ寺村」の解説 七ッ寺村ななつでらむら 愛知県:稲沢市七ッ寺村[現在地名]稲沢市七ッ寺町東は中之庄(なかのしよう)村・堀田(ほつた)村に接し、南境を津島街道が通り、本郷は北西にあり、低地で隣村の悪水に悩まされていた(天保村絵図、徇行記)。天正一四年(一五八六)織田信雄が若山与三へ領知を宛行った黒印状写(雑志)に「尾州七寺郷百六十貫五百文」とみえ、若山与三の知行地であった(織田信雄分限帳)。概高三五二石余で、三三一石余は藩士九人の給知。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by